B-12. 比翼連理

※死ネタ注意。



まだ空が白み始めたばかりの頃、朝靄の立ち込める奥州の伊達屋敷、その門の前に二つの人影があった。

「政宗殿…某、もう行くでござる」
口ではそう言いながらも幸村の足はその場から動かない。政宗の方も、門に寄りかかってじっと佇んだまま、身じろぎもしない。

「お館様も…待っておられる故」
幸村はそう言うと、後ろを向き、馬の手綱に手を伸ばした。それを阻むように、政宗が幸村の腕を掴む。
「…行くな」
「そうは…いかぬ」

言っても詮無い事だ、と政宗は充分分かっていた。だがどうしてもこの手を離したくない。離せば幸村は行ってしまう。奥州筆頭の政宗と、甲斐の武田の将である幸村、束の間の逢瀬の後の別れは、どうにも避けようのない事だ。叶うものならずっと共に居たいと思うが、互いの立場上、それは見果てぬ夢だった。その事は政宗も幸村も重々承知の上だが、今日ばかりは違っていた。

「次に相見える時は…」
「敵同士、か」

ひととき落着きを見せたかのように思えた戦国の世だったが、豊臣秀吉の死をきっかけに、再び乱世に陥った。時の勢力図は大きく二つに分かれ、奥州伊達軍と甲斐の武田軍は敵同士として相対する事になった。

「幸村…」
政宗は言葉を探したが、それ以上何も言えなかった。黙って幸村の身体を引き寄せ、強く抱いた。

「また…きっとお逢いできまする。戦場以外で」
幸村は小さく呟き、政宗の背に回した腕に力を入れた。そして政宗の胸に顔を埋め、目を伏せた。政宗は何も言わずに、静かに幸村の額に唇を寄せた。幸村の髪が鼻先を優しく擽る。身体の温もりが伝わってくる。いつまでもこのままでいられれば、と思った刹那、幸村がゆっくりと身体を離した。

「では…暫しのお暇を」
幸村は、どこか寂し気に微笑み、馬に跨った。何か言いたげに唇を震わせたが、それを堪えるようにぎゅっと噛み締め、手綱を取り、後ろを振り向かずに走り去って行った。政宗は暫くその後姿を見送っていたが、やがてそれも朝靄の中に消えて行った。

「暫しの袖別れ、か…」
政宗は小さく息を吐き、屋敷の中へと入って行った。中庭で誰かが刀を振っている。

「政宗様」
小十郎は政宗の姿を見ると、手を止めて刀を鞘に納めた。

「随分と早えな」
「本日は昼前に大坂へ出立でござりましょう、ゆるりと寝ている訳にもゆきませぬ」
「…そうか」

小十郎は政宗の顔を見ながら、少しためらいがちに訊ねた。
「…真田幸村は、甲斐に戻ったのでございますか」
「…ああ。つい今しがた、な」
「…宜しいので、ござりますか」
小十郎の問いかけに、政宗の表情が少し歪んだ。

「…どうする訳にもいかねえだろ」

好んで敵同士になる訳ではない。できる事なら治世の中で共に穏やかに過ごしたかった。だが、再び乱れた世上、いつどこで果てるか知れぬ命、これが今生の別れとなるやも知れない。それでも、奥州筆頭として、また、武田の将として、互いに全うしなくてはならぬ使命がある。運命に抗う事はできないのだ。

主の心情を察し、小十郎は頭を下げた。
「…詮無い事を申しました。申し訳ござりませぬ」

政宗は目を伏せたが、やがて意を決したように言った。
「出立の用意をしろ、小十郎。目指すは大坂だ。いつものように、俺の背を守れ」

政宗の言葉を受け、小十郎もまた、迷いのない目で応えた。
「御意。この小十郎、命ある限りどこまでも共に」



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戦火の中心、大坂城。そこから程遠くない場所に、伊達軍は陣を構えていた。長きに亘る戦により、政宗も小十郎も、伊達軍の兵士達も皆、疲弊していた。

「…Shit!膠着状態だな。一体いつになったらケリが着くんだ?一気に攻め込むか?」
流石の政宗も苛立ちを露にする。その様子を見て、小十郎が苦言を呈す。
「ご心情は察しますが、今は動く時ではないかと」

政宗は舌を打ち、腕組みをして下を向いた。ふと、幸村の事が頭を過った。武田軍もまた、この場所からそう遠くない所に陣を構えている筈だ。互いにすぐ近くに居ながらも、戦場で見える事はなかった。あいつの事だ、お館様の為に、と、暑苦しく血を滾らせて二槍を振るっているに違いない。そう思って政宗は苦笑した。

「失礼致しますッ!」
物見に遣っていた兵士が一人、政宗の前に走り出で、膝をついた。
「何があった」
政宗が訊くと、兵士は息を切らせながら口を開いた。

「ご報告致します!ここより二里程離れた場所にて、徳川軍と武田軍の間に戦火が上がった模様にござります。それにより、武田軍・真田隊が敗北し、大将の真田幸村が討ち取られたとの事にござりまする」

「なん…だと!?」

政宗は我が耳を疑い、呆然と立ちつくした。そして鋭い殺気を宿した目で兵士を睨み付けた。

「て…めぇ、いい加減な事を抜かすな!」

政宗に恐ろしい剣幕で詰め寄られ、兵士は顔色を無くす。
「嘘にはござりませぬ!そ、某、はっきりと確かめ申しました。確かに、真田幸村が…」

「Shut up!!」
政宗が叫び、腰の刀を抜いたので、兵士は驚いて後ろに倒れ込んだ。小十郎が慌てて主君の前に躍り出た。
「政宗様!!お静まり下さい!!どうか刀をお納め下さります様」

小十郎に諫められ、政宗は大きく舌打ちし、刀を鞘に納めた。だが矢庭に走り出し、そのまま馬に飛び乗って手綱を取った。小十郎は大いに焦り、政宗を押し止めた。

「お待ち下さい!政宗様、何処に行かれます!!」
「…決まってる!!」
「いけません!!まだ、落ち延びた敵軍の兵が居るやもしれませぬ!そのような所に御大将自らがお行きになれば、どのような危険が…」

「止めんじゃねえ…小十郎」

小十郎の静止を振り切り、政宗はがむしゃらに馬を駆った。心臓が早鐘を打つ。額には冷たい汗が滲み出ていた。まさか、あいつが…幸村が。そんな馬鹿な事がある訳がない、政宗は遮二無二、馬を走らせた。

伊達軍の陣より数刻ほど馬を走らせた頃、政宗の眼前に小さな神社が見えた。大勢の兵が集まり、なにやら混乱を来してざわついている。兵士達は六文銭の印のついた旗を持っていた。真田の旗印だ。それを目にした政宗は馬から降り、急ぎ中へと入っていった。

神社の中には、その付近で戦があった事をはっきり物語るように、凄惨な光景が広がっていた。傷ついた兵士、或いは…死んだ兵士も、あちらこちらに倒れている。政宗は負傷して横たわっていた兵士の一人に近寄り、荒々しく訊いた。

「てめぇ、真田隊のモンか。大将はどうした」
政宗に胸座を掴まれた兵士はひい、と声を上げた。
「こ、殺さないでくれ…」
「大将はどこだ、って聞いてんだ!答えろ!!」

首を絞め上げられ、息も絶え絶えになりながら、兵士が口を開く。
「ゆ…幸村様は…境内の中で…傷ついた者の看病をしていた所を…」

政宗の手に力が入る。兵士は益々苦しそうに言った。
「う…後ろから…敵兵に襲われ…


…討死に…されました…」



政宗の手から力が抜けていった。兵士はずるずると崩れ落ち、その場に倒れた。

政宗は…まるで悪夢の中にでも墜ちたかのように、よろよろとよろめきながら、社の中を彷徨った。地面がぐらぐらと揺れている。足取りが覚束無い。前につんのめるようにして境内に辿り着くと、中には、この寺の住職だろうか、袈裟を着た一人の老人が居た。

「おお、あなたもどこかお怪我をなされたのですか?」
「………違う」
「しかし、お顔の色が真っ青でございますぞ…」
老人が政宗の顔を心配気に覗き込む。政宗はその視線を外し、掠れた声で老人に訊いた。

「ここに…傷ついた兵士の看病をしていた者が居たか」
「ええ…。怪我人が沢山運び込まれてきたので、手当をする者も何人かおりました」
「その中に…赤い戦装束を着て、六文銭を首から下げた男は」

それを聞いた老人は、悲痛な面持ちで俯いた。
「ええ、おりました…。あの方は、こちらで懸命に他の方の看病をされておりましたが、そこを敵軍の兵に…。不意討ちでした。戦とはいえ、若く尊いお命を…なんと惨い」

政宗の身体がふらりと揺れた。立っている事ができなくなり、政宗はがくりと膝をついた。

「ゆき…むら…」

政宗は身を震わせた。頭の中が真っ白になってゆく。信じられない。信じたくない。誰か俺に間違いだと言ってくれ。祈るような気持ちで政宗は頭を垂れた。

「…独眼竜…」

名を呼ばれ、政宗ははっと顔を上げた。幸村、幸村か。生きていたのか。政宗は虚ろな目で声のした方に目を遣った。

「て…めぇは…」

政宗の期待も虚しく、そこに立って居たのは佐助だった。佐助の顔からはいつもの飄々とした表情が失せており、沈痛な面持ちで政宗の傍に歩み寄ってきた。そして無言で政宗に何かを差し出した。

「こ…れは…」

幸村が常に首に掛けていた六文銭。政宗は震える手でそれを受け取った。六文銭は返り血でどす黒く染まっていた。幸村の血だろうか。政宗は声を失い、のろのろと顔を上げて佐助を見た。佐助は俯き、震える声で辿々しく言葉を絞り出した。

「…すまねえ………竜の旦那…。俺がいながら…むざむざと、真田の旦那を…」

「…だまれ…」

「真田の旦那を…」

「………黙れって言ってんだろうが!!それ以上言うな!!」
政宗は佐助の首を掴み、力任せに締め上げた。佐助は苦しげに顔を歪めたが、それでも言葉を続けた。

「…死なせちまった…」

佐助の口から、聞きたくない言葉が、力無く漏れた。政宗は佐助の首から手を離し、そのまま足元に崩れ落ちた。

「…言わないでくれ…」

政宗は手の中の六文銭を握り締めた。唇が震える。まるで体中の血が失われたかのように寒い。身も心も凍えそうだった。

佐助は政宗の前にそっと膝をつき、政宗の肩に手を置いた。そしてもう一度、小さく呟いた。

「すまねえ…」

政宗の肩に置かれた佐助の手も、小刻みに震えていた。政宗が顔を上げて佐助を見ると、佐助は己の不甲斐なさを責めるかのように、血が出る程に強く唇を噛みしめていた。その顔は泣いているようにも見えた。佐助は政宗の視線に気付くと、ついと目を逸らして立ち上がった。

「じゃあね、竜の旦那。俺、行くわ」

「…お前はどこに行くんだ…武田に戻るのか」

「…俺は、真田の旦那に仕えた、真田忍隊の長だ。主を失った忍の末路は…ひとつしかないさ」

そう言うと、佐助は振り返り、政宗に向って、寂しげな笑顔を見せた。

「…さよなら、独眼竜…」

佐助は軽く手を振ると、風のように掻き消えていった。もう二度と相見える事は無いのだろうという予感が、政宗の胸を過ぎった。

後に残された政宗は、呆然と手の中の六文銭を見つめていたが、矢庭に立ち上がり、走り出した。

どこまでも走った。

どこまでも。

やがて足が縺れ、広野の中に倒れ込んだ。

「ゆき…むら…」

幸村の顔が思い出される。最後に見た、どこか寂しげなあの笑顔。

あの時、手を離すのではなかった。そのまま奥州に、政宗の元に止めれば、幸村を失わずに済んだのだろう。しかし、もう幸村は居ない、どこにも居ない、二度と会う事は叶わない。あの温もりを感じる事も、あの唇に触れる事も、あの笑顔を見る事も。

「幸村………!!」

政宗の残された左目から熱いものが滴り落ちた。

涙…?

俺は泣いているのか。

弟を手にかけた時も、父を殺した時も、涙など流さなかったのに。

政宗の頬を、涙が止め処なく流れ落ちる。

政宗は哭いた。

幸村はもう居ない。

竜の慟哭が、誰も居ない広野に、いつまでもいつまでも響き渡っていた。




−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−




「先…輩」

誰かが呼んでいる。とても懐かしく、とても大切な誰か。そうだ、俺はずっと探していた、ずっと会いたかったんだ、と、浅い微睡みの中、政宗は思った。

「政宗先輩!」

揺り起こされて政宗ははっと目を覚ました。ゆっくりと顔を上げて辺りを見回すと、誰かが心配そうな表情で自分の顔を覗き込んでいる。視野のぼやけた左目はやがて焦点を定め、目の前の人物の姿をはっきりと映し出した。

「…………幸……村?」

名を呼ばれた相手はにこりと微笑み、胸を撫で下ろした。

「はい。ああ良かった、すごくうなされていたから、どこか具合でも悪いのかと思っちゃいました。大丈夫ですか?」

「………」

政宗はぼんやりと幸村の顔を見上げた。幸村は小首を傾げて政宗の顔の前に掌を出し、ささっと上下に動かした。

「政宗先輩?もしかして、まだ寝惚けてるんですか?…っていうか、今お昼休みですよ?こんな時間に屋上で熟睡してるって事は…サボりましたね、四限!」

政宗はようやく今の自分の状況を思い出した。確かに幸村の言う通り、四限の授業が始まる前に教室を抜け出して屋上に来て、そのまま眠ってしまったのだった。
「…嫌いなんだよ、日本史」
政宗は上に手を伸ばし、小さく欠伸をした。

「そりゃ、政宗先輩は確かに成績良いけど…三年生なんだから、ちゃんと授業に出ておかないと、単位に響きますよ!」
幸村が口を窄めて小言を言う。政宗はひらひらと手を振り、分かった分かった、と言って微笑した。

「ところで政宗先輩、お昼は?食べてないんですか?」
「Ah…別に、腹は減ってねえよ」
「駄目ですよっ!そんな事言ってちゃ!俺達、成長期なんだから、ちゃんと食べないと!」
幸村は口を尖らせて言い、自分の持っていた、恐らく佐助が作ったのであろう弁当と、フルーツ牛乳を差し出した。
「これ、食べて下さい。俺は購買部で買ってきますから」

そう言うと幸村は身を翻し、屋上の入り口のドアに向って歩きだそうとした。その瞬間、咄嗟に政宗が幸村の腕を掴んだ。

「行くな」
「え、でも…」
「いいから、行くな。ここに居ろ」

そう言う政宗の表情がどこか悲しげに見え、幸村は立ち止まってその場に座り直した。

「政宗先輩…どうしたんですか。やっぱり変ですよ、今日」
「何でもねえ」

そう言いながら政宗は幸村の顔を見つめた。確かに、何かとても悲しい、辛い夢を見ていたような気がする。そうだ、遥か昔から何度も見てきた夢だ。夢の中で俺はいつも…

考えながら政宗は目を閉じた。瞼の裏に幸村の顔が浮かぶ。ずっと探していて、ずっと会いたかったその顔が。政宗はもう一度ゆっくりと目を開いた。目の前には確かに幸村が居る。政宗はついと手を伸ばし、幸村の頬に触れてみた。

「せ、せんぱい?」

幸村が顔を赤らめる。俺はずっとこうして幸村に触れたかった。そう思いながら政宗は幸村の身体を引き寄せ、強く抱き締めた。

「先輩…苦しいです、政宗先輩」

幸村の呼ぶ声が優しく耳に響く。政宗はゆっくりと幸村の髪に顔を埋めた。柔らかく温かい感触が政宗の頬を擽る。政宗は幸村の耳元でそっと呟いた。

「…もう、どこにも行くな」

政宗の腕の中で少し恥じらっていた幸村は、しかしその言葉を聞くと、目を閉じて小さく頷き、はい、と言った。

「ここに居ます。政宗先輩の傍に」

幸村は身体の力を抜き、政宗の胸に身を委ねた。遠く離れていた時間を埋めるように、政宗と幸村は深く身を寄せ合った。五月の風が、寄り添う二人の身体を優しく撫でてゆく。穏やかな陽光に包まれながら政宗は、もう何があっても二度と幸村を離すものか、と、固く心に誓いを立てた。



2009/10/20 up

幸村落命のくだりは史実を元にしています(大坂夏の陣)。なので出会った頃(政宗19歳・幸村17歳)からは10年以上経っているという設定にしています。
死ネタ書くのはちょっと辛かったですが、私的には、このエピ無しには現代編への繋がりは無いので。
失っているからこそ、現代編の政宗様は幸たんの事をより大切に思っているのです。なので現代編は戦国編より糖度高め。