D-09. Preuve

「よぉ、頑張ってるか?」
後ろから声を掛けられ、幸村が振り返ると、元親が手を振っている。

「元親先輩!お久しぶりです。今日はどうして学校に?」
「俺も今、夏休みだからよ。たまには古巣に顔を出してみるかと思ってな」

元親は幸村の所属するサッカー部のOBだ。幸村が入部した時、元親が部長だった。小学生の頃からずっとサッカーをやっていて筋が良い幸村に目をかけ、元親は色々と面倒を見てくれた。幸村も元親にはよく懐いて、人一倍真面目に練習に励んだ。元親が三月に卒業し、グラウンドに姿が見えなくなった時は、少し寂しく思えた。

「しかし、このくそ暑いのに練習かよ。折角の夏休みなんだから、少しはサボったっていいんじゃねえか?」
「元部長がそんな事言っていいんですか、元親先輩?」
そう言って幸村と元親は顔を見合わせ、笑った。豪快で屈託の無い性格の元親が居ると、グラウンドの雰囲気も自ずと明るくなる。

「大学生活はどうですか?」
「まあ、適当にやってるぜ。ゼミだの課題だの、煩わしい事も沢山あるけどな」
元親は頭を掻きながら言った。

「そういえば…元親先輩は、政宗先輩と同じ大学でしたよね」
政宗の名前を聞いて、元親が少し顰め面をする。幸村はしまった、と思った。

政宗と元親は中学の頃から浅からぬ因縁がある。当時、東中の伊達、西中の長曾我部、と言えばかなり名の知れた存在だったらしい。東の竜に西の鬼、などという二つ名までついていた程だ。血気盛んな年頃だった事もあり、何かにつけては諍いを起こしていたようだ。そんな二人が同じ高校に進み、三年では同じクラスになり、更に大学まで一緒だというのだから、実に縁というものは不思議なものだ。

「伊達政宗、か」
元親は顎をなでながら呟いた。
「まあ同じ大学だし、同じ授業を取ってる時もあるからな。結構見かけるぜ」
「そう、ですか」
「あいつ、大学内では結構有名だからな。嫌でも噂が耳に入ってくんだよ。格好いい、とか言って女共がいつも騒いでるし、成績も首席クラスときてる」
全く、鼻につくぜ、と言いたげに元親は舌を打った。幸村は元親の言葉を聞き、なんだか誇らしいような、寂しいような気持ちになった。

「あ、そういやー同じゼミの女と付き合ってるようだとかなんとか言って、女共がショック受けてたっけな」
「…え?」

幸村の心臓がどきりと跳ねた。まさかそんな事は無い、と思ったが、胸の中に不安が押し寄せてきた。

「まー、あいつの事だから黙ってても女が寄ってくるだろうぜ。中学の頃から女関係については色んな噂もあったしな」
幸村の動揺を知ってか知らずか、元親は言葉を続ける。それ以上聞き続ける事ができず、幸村は思わずその場から走り出した。

「あ、おい幸村!?」
元親が驚いて幸村を呼んだが、幸村は振り向かず、校舎の裏へと消えて行った。
「…なんだよ、一体どうしたってんだ、アイツ」
元親は首を傾げて、両手を頭の後ろで組んだ。その瞬間、元親目がけて何かが猛スピードで飛んできた。サッカーボールだ。突然の事に避ける事もできず、ボールは元親の顔面に勢いよくクリーンヒットした。元親は顔を押さえてうずくまった。

「…痛ってぇー、ちくしょう、誰だあ!?」

元親が顔を上げると、目の前に政宗が仁王立ちしていた。険しい顔をし、鋭い目で元親を睨みつけている。

「てめえかぁ、伊達政宗!!何しやがる!この俺に喧嘩売ってんのか!?」
元親は肩を怒らせて立ち上がった。その顔面目がけて政宗は二発目のボールを蹴った。ボールは元親の顎を跳ね上げ、元親はうぎゃっ、という声を上げてグラウンドに倒れ込んだ。

「Shit…下らねえ事言いやがって。次はこんなもんじゃ済まねえぞ」
政宗は吐き捨てるように言い、幸村の消えた校舎裏の方へと向かって行った。



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幸村は人気のない校舎の裏で、壁にもたれて座りこんでいた。

「政宗先輩…」
膝を抱えた腕にぎゅっ、と力が入った。元親の言った事は本当だろうか。幸村は膝に顔を埋めた。

思えば、自分と政宗の間には何の約束も無かった。そういえば政宗から好きだと言われた事は一度も無い。幸村も自分の気持ちを口にした事は無かった。言わなくてもいつも政宗は幸村に笑顔を向けてくれた。それを好意だと取り違えていたのだろうか。幸村は政宗を見た時、自分がずっと探していたのはこの人だ、と思ったが、それも独り善がりだったのかもしれない。

じわり、と幸村の目頭が熱くなった。言いようのない不安に押し潰されそうになって、身を震わせた時、誰かが幸村の頭に手を置いた。

「おい」

幸村が顔を上げると、そこには政宗が立っていた。

「政宗…先輩?どうして学校に?」
「剣道部の顧問に呼ばれてな…部の様子を見に来た」

幸村はゆっくり立ち上がったが、政宗の顔を見る事ができず、横を向いた。政宗は幸村に近づいて、幸村の顎を掴んで顔を正面に向けた。
「泣いてたのか」
「な、泣いてなんていません」

政宗は小さく舌打ちし、忌々しげに言った。
「あんな奴の言う事なんか信用してんじゃねえよ」
「元親先輩はいい人です」
幸村の言葉を聞き、政宗は顔を顰めた。

「それに俺…別に気にしてなんていませんから」
「じゃあなんで泣いてたんだよ」
「泣いて…なんか…」

刹那、幸村の目から涙が溢れた。しまった、と思ったが自分ではどうする事もできない。胸の奥から流れ出てくるように熱い涙は、止め処なく幸村の頬を伝わり落ちてゆく。

政宗は小さく溜息を吐いて、幸村の頬を拭った。
「泣くな」
幸村はしゃくり上げた。涙と共に、抱え込んでいた気持ちが堰を切ったように溢れ出る。
「先輩、俺は、俺は…ッ」
何か言いたいのだが上手く言葉が出てこない。涙ばかりが後から後から流れ出てくる。辛い、切ない、どうしたらいいのか分からない。幸村のそんな様子を見ていた政宗は、黙って幸村の身体を引き寄せた。

「前にも言ったろ…俺はお前をずっと探してた、って」
政宗が幸村の髪を撫でながら呟く。幸村は政宗の腕の中に身体を預けたまま、その言葉を聞いていた。
「お前は俺を信じてりゃいいんだ。You see?」
「…でも」

政宗はまた少し眉を顰めた。

「何だよ、俺が信用できねえってのか」

幸村は政宗から身体を離し、俯いた。
「政宗先輩は、いつも、何も言ってくれないじゃないですか」
「だから言ってんだろ、信用しろって」
「…そうじゃなくて。先輩の、その…気持ちとか」

政宗はふう、と息を吐いて腕組みをした。
「んなモンが必要なのかよ」
幸村は黙って頷いた。少なくとも今の不安な気持ちを振りはらうために言葉が欲しい、と思った。政宗は目を伏せ、しばし黙っていたが、おもむろに口を開いた。

「分かったよ」

そう言うと政宗は幸村の腕を掴み、ぐいと自分の方に引き寄せた。強い力で引っ張られ、幸村の身体がぐらりと揺れた。咄嗟に政宗の肩に掴まり顔を上げると、政宗が見下ろしている。
「政…」
政宗の名を呼ぼうとして幸村が開いた唇に、政宗の唇が重なった。
「…!」
びくり、と幸村の身体が動く。瞬間目を瞠ったが、すぐにぎゅっと目を閉じて、思わず息を止めた。身体が熱を帯びる。幸村は逃げるように少し顔を背けたが、それを追うように再び政宗が唇を塞ぐ。幸村の意識が遠のいていく。やけに大きく聞こえる心臓の鼓動は自分のものだろうか、政宗のものだろうか。

「う…」
幸村が小さく声を上げた。政宗はゆっくりと唇を離し、紅潮した幸村の頬を撫でた。
幸村はぼんやりした顔で政宗を見上げたが、はっと我に返り、気恥ずかしさに思わず目を逸らした。

「これでいいかよ?」
政宗が幸村の頬を撫でながら微笑する。幸村は少し口を尖らせて言った。
「先輩…ずるいです」
「Ha?何が」
「だって…その、突然、そんな」
しどろもどろに言う幸村の頬を撫でながら、政宗はゆっくりと顔を近づけた。

「突然、じゃねえよ。一年半も我慢してやったんだぜ?」

幸村の顔が更に赤くなった。出会った頃からずっと、政宗が自分に対しそんな気持ちを抱いていたなどという事を、奥手の幸村は想像だにした事が無い。

「政宗…先輩」
「少しは落ち着いたか?」
政宗は微笑しながら幸村の顔を覗き込む。幸村は小さく頷き、すこし笑顔を見せた。それを見て政宗が再び幸村を抱き寄せる。耳元で小さく、お前じゃなきゃ駄目なんだ、と呟いて、政宗はもう一度、幸村の唇に自分の唇を重ねた。

幸村も小声で何か言ったようだったが、その声は蝉時雨の中に掻き消されていった。



2009/10/16 up