D-10. Preuve 〜apres〜

「幸ちゃんお帰りー。外は暑かったでしょ。お風呂沸いてるから入っちゃってー」

部活を終えて帰宅した幸村を、佐助は玄関で出迎えた。幸村はうん、と頷くと、ユニフォームを佐助に手渡し、そのままバスルームへ歩いて行った。

「あーあ、今日もこんなに汚してくれちゃって。全く、夏は洗濯が大変だよ」
泥だらけのユニフォームを見て、佐助が溜息を吐く。幸村は汗っかきな上に、練習に熱中する余りよく転んだりするので、ユニフォームが何枚あっても追い付かない。この家の家事全般を担っている佐助にとって、毎年夏場は頭の痛い時期だった。

「さーて、晩ご飯の準備をしなくちゃね」
洗濯かごにユニフォームを入れ、佐助はキッチンへ向かった。毎日暑くて料理をするのも大変だが、幸村や武田先生が夏バテでもしたら大変だ、しっかり栄養管理しなきゃ、と佐助は腕まくりをする。
「今日の献立は、夏野菜の天ぷらですよー、っと」
佐助は手際よく料理の下ごしらえをした。茄子、南瓜、ししとう、オクラなど、色とりどりの野菜が並ぶ。

「俺様って料理の天才かもー」
佐助は機嫌良く、鼻歌まじりに呟いた。そしてふとバスルームの方を見遣った。いつもなら、風呂から上がった幸村がドタドタとキッチンへ駆けこんできて、佐助ー、スポーツドリンク冷えてるー?などと聞いてくる頃合いなのだが。

「今日は珍しく長風呂みたいだねえ」
佐助は油の入ったフライパンを火にかけ、野菜を揚げ始めた。ぱちぱちと油の跳ねる音がして、野菜が狐色になってゆく。
「…ってか、ちょっと長すぎじゃない?」
佐助は火を止め、バスルームへ向かった。

「幸ちゃーん、まだ入ってんの?」
バスルームのドアの外から声を掛けるが返事が無い。佐助は慌ててドアを開けた。
「ちょ、ちょっと、幸ちゃん!?」
幸村はバスタブの中で顔半分まで湯に浸かり、目を回していた。



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「はい、幸ちゃん。大丈夫?」

佐助は冷えたスポーツドリンクを幸村に手渡した。幸村はリビングのソファの上に仰向けになり、真っ赤な顔でぐったりしている。佐助は幸村の額に冷たいタオルを乗せた。
「まったくもう、何やってんの。子供じゃあるまいし、お風呂で溺れるなんて」
「ごめん…佐助」
幸村は申し訳なさそうな声を出した。身体が熱いせいか、目が少し潤んでいる。

「いつもは烏の行水なのに、今日はどうしたの?湯船で考え事でもしてたの?」
「え…いや…」
幸村が口籠る。佐助は怪訝に思い、訊ねてみた。
「部活で何かあったの?」
「いや、何もないよ」
直ぐに返事が返ってきた。それなら、と佐助は、もう一つの心当たりを口にしてみた。

「政宗先輩と何かあった?」
幸村がうっ、と言葉に詰まる。図星かあ、と思い、佐助は続けて聞いた。
「今日、先輩と会ったの?喧嘩でもした?」
「えっ、いや、そんな、喧嘩なんてしてないよ」
「ふーん。それじゃ、キスでもした?」

その瞬間、幸村ががば、と跳ね起きた。額に乗せていたタオルが床に落ちた。幸村は元々赤かった顔を更に耳まで赤くして、驚いたような表情で佐助の顔を見た。

「なっ、なんで…」
分かったのか、と言いたげに幸村が口を開く。全くこの人は馬鹿正直で隠し事のできない性格だねえ、と、佐助が半ば感心しながら幸村を見た。
「幸ちゃんの顔に書いてあるよ」
幸村は慌てて両手を顔に当てる。本気で顔に書いてあると思っているようだ。佐助はぷっと吹き出した。

「冗談だってば。それよりも…どうだった?初めてでしょー、幸ちゃん」
佐助は悪戯っぽく笑って幸村に言った。
「なっ、何を言うんだ佐助!はっ…破廉恥だぞ!」
予想通りの反応が返ってくる。相も変わらず、奥手で純情だよねえ、と佐助は思った。

この幸村相手では、政宗も相当我慢したであろう事は想像に難くない。しかし、いくら幸村が奥手だとはいえ、もうちょっと強引にいっちゃっても良かったんじゃないの、と佐助は思ったが、中学の頃からずっと好意を寄せているかすがに全く相手にされていない自分の立場を思えば、政宗の事をとやかく言えた義理じゃない。佐助は少し苦笑いした。

「佐助…その…この事は」
「あーはいはい、分かってるって。勿論、武田先生には秘密にしとくよ」
佐助と幸村の保護者である武田信玄は、実直で厳格な性格だ。だが真面目すぎて少々四角四面すぎるきらいがある。だが幸村は信玄の事を心から敬愛し、信玄の教えこそが世の道理と信じて育ってきた。幸村がこのように色恋事に対して晩熟なのは、この信玄の影響である事は疑う余地もない。

佐助は床に落ちたタオルを拾い上げ、幸村に手渡した。
「んじゃー俺様は夕食の支度の続きをやるから。幸ちゃんはもう少し横になってなね」
そう言うと佐助はキッチンに向って歩き出したが、ぴたと足を止め、くるりと振り返ってにやりと笑った。
「おめでとー、幸ちゃん。よかったねー………おおっと!」
佐助の顔目がけてタオルが投げつけられたが、佐助はさっと避け、右手でキャッチした。幸村は膨れっ面をして顔を背けたが、自分の唇を指でなぞり、頬を赤らめていた。

佐助はキッチンに戻り、油を温め直すため、コンロの火をつけた。
「武田先生には言いませんよー。…でも」
佐助は微笑しながら携帯を取り出し、メールを打ち始めた。アドレス帳から慶次の名前を出し、宛先に入れた。
「幸ちゃんがひとつ大人になったお祝いだからねー。送信、っと」

明日は幸村の部活も休みだ。明日になれば慶次が好奇心丸出しの様子ですっ飛んで来るだろう。そしたら慶次と二人でじっくりと幸村をからかってやろう、と佐助は笑った。

その日の夕食の食卓には、夏野菜の天ぷらと一緒に、赤飯が並べられた。


2009/10/17 up

「Preuve」アフター話。