C-04. 彼が彼奴で彼奴が彼で

※悪ノリ注意!

麗らかな昼下がり、政宗は自室で一人、書物を読んでいた。とはいえ屋敷の書物は殆ど読み漁ってしまっており、内容も諳んじているので、慰み程度に軽く目を滑らしているだけだった。薄く開いた障子の隙間からは、柔らかな陽射しが差し込んでくる。政宗は書物を閉じ、ぽつりと呟いた。

「静かだな…」

政宗はゆっくりと立ち上がり、縁側に出た。ふと庭に目を遣ると、五葉松の枝に番の雀が止まり明るい声で囀っている。その平和な光景に、思わず小さく息を吐いた。

「…ったく、平和なのは結構だが、体が鈍っちまうぜ」

まあたまにはこんな静かな日があってもいいか、などと思いながらその場に腰を下ろそうとした政宗の耳に、けたたましい足音と叫び声が聞こえてきた。

「…と、殿、殿ッ!!」

余りの騒がしさに庭の雀が勢い良く飛び去っていった。政宗は顔を顰めて声の主を見遣った。

「何事だ、騒々しい」

家臣の男は政宗の前で膝をつき、畏まって言った。
「もっ、申し訳ござりませぬ!…が、しかし、一大事にござります故、ご無礼の程何卒お許しを」

「…何があった?」
「そ、某では判断が着きかねます故…兎に角、門のところまでお越しくださいませ」

何があったかは知らないが、些細な事で一々動揺するとは、奥州伊達軍の兵ともあろう者が情けねぇ…と政宗は舌打ちしながら、家臣に促されるまま門まで足を運んだ。

門の前には家臣達が集まっていたが、皆一様に困惑した顔をしていた。その中心に、一際身体の大きい男が一人居て、大きな声で叫んでいた。

「伊達政宗殿はおられるか!疾く、お目通りを!!」

その男の姿を見て、政宗も思わず驚愕した。

「ちょ、長曾我部元親!?」

逆立った銀の髪、政宗とは逆の左目を覆う紫の眼帯、身の丈を超える大振りの碇槍を携えてそこに立っていたのは、紛れもなく西海の鬼と渾名される男、長曾我部元親であった。

「おお、政宗殿!」
元親は政宗を見て、何故か親しげに呼びかけてきた。

「政宗殿、だァ?…何を馴れ馴れしげに。てめぇ一体、奥州に何の用だ。わざわざ瀬戸内からやって来るとは、単なる物見遊山じゃあ…なさそうだよなぁ」

政宗は鋭い目で元親を睨んで腰の刀に手を遣り、徐に鞘から抜いた。すると元親が慌てた様子でそれを遮った。

「お、お待ち下され!某、元親殿にはござらぬ!!」
「Ha!? …寝言は寝てから言いやがれ。どっからどう見たって長曾我部だろうが!それ以外の誰だと抜かしやがるんだ!?」

元親は少し俯いたが、再び顔を上げて、政宗を見ながら言った。

「某、真田源次郎幸村でござる…」

それを聞いて、政宗は眉を顰めた。そして更に鋭い目で元親を見た。
「…何のつもりか知らねぇが、俺を怒らせて楽しいか?今すぐに、そんな戯言が吐けないようにしてやるぜ」
「そ、某、嘘は言っておらぬ!誓って、武士に二言はござらぬ!!まこと、某は真田幸村…」

「Shut up!!」

政宗が問答無用で元親に切りかかる。元親の頭上に政宗の刃が振り下ろされたその時、横から一振りの朱槍が振るわれ、それを止めた。

「やめろ!!」

聞き慣れた声がする。政宗がはたと声のした方を見ると、そこには朱槍を携えた幸村が立っていた。

「ゆ、幸村!?」

幸村は苦虫を噛み潰したような顔で、頭を掻きながら言った。

「真田幸村じゃねぇよ。…俺が長曾我部元親だ」



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屋敷の大広間で、政宗と小十郎は共に難しい表情をしていた。目の前には、自分の事を幸村だと言い張る長曾我部元親と、これまた同じく自分の事を長曾我部元親だと言い張る幸村が座っている。先程からもう何十回と訊いた事を、政宗は念を押すようにもう一度訊ねた。

「本当に、お前ら二人が入れ替わったっていうのか」

「…俄かには信じ難いでござろうが、まことにござる!」と、元親。
「だから、さっきっから何度も言ってんじゃねぇか。理解力のない奴だな。これだから田舎モンはよぉ…」と、幸村。

二人が口々に言うのを聞いて、政宗は更に表情を固くする。信じろと言われたからとて簡単に信じられるような事では無い。二人で示し合わせて政宗を謀ろうとしているのではないか、と疑いたくもなる。

「この小十郎、未だにこの二人の話を受け入れる事ができませぬ…」
「…俺だってそうだ。だが、長曾我部はともかく、幸村はこんな埒もねぇ嘘を吐くような奴じゃねぇ…」

「長曾我部はともかく、たぁ、どういう事だァ!?聞き捨てならねぇな!!」

幸村、いや、幸村の姿をした元親が肩を怒らせて気色ばむ。政宗がその姿を、眉間に皺を寄せながら横目で見る。

「あれを見ろよ…。幸村もまぁ、ちょいと浮世離れした所はあるが、あんなに下品じゃねぇだろ?」
「…それもそうでござりますな」

政宗と小十郎の会話を聞き、元親は更に怒りを露にした。
「てめぇら…この俺を、とことん馬鹿にしやがってぇ…!」

「それよりも…某と元親殿は、元に戻れるのでござろうか…」

幸村が不安気にぽつりと呟いた。眉尻を下げて伏し目がちに下を向き、小さく手を振るわせている。その様が何とも痛々しいが、見た目は元親なので、そのしおらしい姿が少々気味悪く政宗と小十郎の目に映る。小十郎は思わず咳払いをした。

「う…うむ、不安に思う気持ちは分かるぞ、真田。だがな、何の呪いか、はたまた物の怪の仕業か、原因が一向に分からねえ。明日になったら寺にでも行って祓ってもらうとして、今日は取り敢えずここで休め」

「…かたじけのうござる、片倉殿」
元親の姿の幸村がぺこりと頭を下げる。幸村の姿の元親はどかりと胡坐を掻き、不本意そうに言った。
「ちっ、仕方ねぇな。今日一日、厄介になるぜ」



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「やれやれ…なんて日だ」

政宗はゆっくりと褥に身体を横たえながら独りごちた。仰向けになり、ぼんやりと天井を見上げながら今日一日の出来事を思い出す。

いつも幸村が来た時は二人で差向い、何かと話も弾んで愉しい筈の夕餉の一時も、今日は妙に重苦しかった。元親の姿の幸村は押し黙って食事に箸をつけようとしないし、幸村の姿の元親は、如何にも不愉快そうに、それでも豪快に飯を口に運んでいた。政宗は塩を噛むような気持ちで、それでもなんとか食事を喉に通した。俯いて黙ったままの幸村の事が気にかかったが、かける言葉がどうしても見付からないまま、自室へと戻ってきてしまった。

「幸村…」
今どうしているか、と思い、深い溜息を一つついた時、障子の向こうから声がした。

「…政宗殿」

元親の声。という事は幸村だ。政宗は身を起こした。

「…入れよ」

躊躇いがちにそろそろと障子が開けられ、元親の姿の幸村が顔を覗かせた。
「…よろしいのでござるか」
「何、遠慮してんだよ。いつも入ってきてんだろうが」
「でも、今、某は元親殿の姿でござる故…」
「…いいから入れ」

幸村は遠慮がちに政宗の寝所へ入り、障子を閉めた。だが入口で畏まったまま、その場から動こうとしない。政宗は怪訝そうな表情で、幸村の傍に歩み寄った。

「…どうした?」
「ま…政宗殿……、某…某、もしこの先ずっとこのままだったら、一体どうすれば良いのでござろうか…」

元親の姿の幸村が小さく肩を震わせる。不安な様子がひしと政宗にも伝わってくる。抱き締めて優しく背中を擦って宥めてやりたいと思い、政宗は腕を伸ばしかけたが、目の前の元親の姿に躊躇し、差し出した腕を力無く下ろした。

「…ンな心配すんな。すぐに元に戻る。大丈夫だ」
「でも…某、不安で堪らぬのでござる…」

幸村は俯いていたが、徐に顔を上げ、政宗を見ながら言った。

「一緒に寝ても…ようござるか」

思わず政宗がうっ、と言葉に詰まる。いつもの幸村ならば、政宗と同衾するのを恥じらって、なかなか床に入ろうとしない。少し拒む仕草を見せる幸村を、政宗が多少強引に褥に引き込んで抱くのが常だった。そんな幸村が自分から一緒に寝るなどと言うのはこれが初めてかもしれない。少し甘えたようなそんな言葉を聞いて、政宗が拒もう訳もない………普段ならば。

だが今政宗の目の前に居るのは、紛れもない長曾我部元親。いくら中身が愛しい幸村だとはいえ、何が悲しくて長曾我部と床を共にしなくてはならないのか。政宗の頬を、一筋の冷たい汗が伝わって落ちた。

「詮無い事を申したでござる!某、自分の寝所へ戻るでござる…」

悲しげな表情で政宗の寝所を出ようとする元親…幸村の腕を、政宗が掴んだ。

「Wait!………ここで寝ろよ」

言った後、政宗はごくりと唾を飲んだ。俺も男だ、このくらいの事で動揺してどうする、と政宗は腹を括った。

政宗は床に入り、再び身体を横たえた。政宗の後に続いて、元親の姿の幸村が褥に入る。だが遠慮しているのだろう、政宗から身体を離して距離を取っている。

「申し訳ない…」
少し膝を曲げて、胎児のような格好で丸まり、幸村は小さな声で呟いた。

「お前のせいじゃねぇさ…」
その様が余りにも哀れに見え、政宗は幸村を引き寄せて抱き締めた。

ごり。

鋼のような筋肉の感触が政宗の腕の中に伝わる。政宗よりも少し背丈の小さい幸村ならば、抱き締めれば政宗の胸にすっぽりと納まる。だが元親の身の丈は政宗よりも一回り、いや二回り程大きい。これではどちらがどちらの胸に顔を埋めているのか分からない。政宗は背筋に冷たいものが走るのを感じた。

「政宗殿…」

幸村は少し安心したのか、政宗の背中に手を回して抱き付いてきた。どこか少年ぽさの残る柔らかい幸村の身体と違い、固く骨太な元親の身体が密着する。政宗は鳥肌が立つのを必死に耐えた。

「かたじけ…のう…ござる…」

幸村が静かに寝息を立て始めた。政宗は緊張を解すように、深く長い溜息を吐いた。元親の太い腕が政宗の身体をがっちり締め付けており、暑苦しくて息苦しい。だが無下に振り解くのも幸村が可哀想だ。政宗は半ば諦めたように目を閉じた。

「Oh, my God…」

政宗は呟き、纏わりつくような緊張感の中、夢中で目を瞑り、なんとか眠りに落ちていった。



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朝日に顔を照らされ、政宗は眩しさに目を覚ました。薄く左目を開けると、銀髪の厳つい男の姿が目に入る。

「うわっ!」

自分の腕の中の元親の姿に一瞬、心臓が飛び出る程驚き、すぐに状況を思い出す。そうか、こいつは幸村だったな、と思いながら、この悪夢が何時まで続くのだろうと、朝から憂鬱な気持ちになった。

「うーん…」

元親が身を捩り、微かに目を開いた。暫し朦朧としていたようだが、すぐ目の前にある政宗の顔を見て、俄かに瞠目して大声で叫んだ。

「うわあああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!」

叫ぶと同時に、政宗を思い切り突き飛ばす。政宗は後ろに倒れ込み、その弾みで打った頭を押さえながら怒鳴った。

「痛…ってぇな!何しやがんだ、幸村!」

「て、てめえ独眼竜!一体、この俺に何しやがった!?何でてめえが俺と一緒に寝てやがる!!」

その言葉を聞き、政宗は一瞬怪訝に思いながらも、もしや、と思い、訊いてみた。
「…ゆきむら?」

「幸村じゃねえ!元親だ!!」

それを聞くが早いか、政宗は床の間に飾ってあった刀を手に取り、抜刀した。刀身がぎらりと光り、元親の姿を映し出す。

「元に戻ったのか…てめえ、長曾我部ッ!!…よくもこの俺に、あんな気色悪い思いをさせてくれたな!!」

「それはこっちの台詞だ!!なんで俺がてめえの腕の中で目ェ覚まさなきゃならねえんだ!!悪寒が走るわ!!」

朝も早くから寝所でじりじりと殺気を飛ばし合う政宗と元親。政宗が刃を振り上げた時、勢い良く障子が開いた。

「政宗殿ッ!!」

元親と同じく、元の姿に戻った幸村が嬉しそうに駆け込んで来る。その姿を見て政宗は刀を下ろし、幸村に向かって尋ねた。

「ゆ…幸村か?」
「某、紛れもなく真田源次郎幸村にござる!元の姿に戻れたのでござるよ!!」
「そうか…」
政宗はその場に力なく座り込み、思わず深い溜息を吐いた。幸村は政宗の前に膝を付き、政宗の手を取って嬉しそうな微笑みを向けた。

「ちッ、気が削がれたぜ。俺は帰るぜ」
元親はふん、と鼻を鳴らし、ずかずかと寝所から出て行った。



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「んじゃあな、世話になったな」

伊達屋敷の門の前で政宗と幸村に見送られ、元親は一宿一飯の礼を述べた。幸村は笑顔で元親に右手を差し出した。

「色々と大変な思いをしたでござるが…まあ貴重な体験だったでござるよ」
「…随分と前向きだな。ま、言われてみりゃ確かにそうだな。うちの野郎共に土産話として語ってやるか」

互いに身体が入れ替わった者同士、妙な親近感でも湧いたのか、和気靄々と話す幸村と元親を、政宗は渋い顔で見ていた。

「…ンだよ、伊達政宗。まだ何か言いてえ事でもあンのか?」
「ねぇよ。さっさと行っちまえ」
「ははーん、さては焼き餅だな。おめぇにも随分と可愛い所があるじゃねぇか」

元親に言われて、政宗は腰の刀に手を置いた。からかわれたのが気に食わないのもあるが、図星を指された事が政宗の癪に障った。

「叩っ切られる前に瀬戸内に帰んな。You see!?」
「かっはははは、おっかねぇこって。じゃあな、独眼竜!」

元親は豪快に手を振ると、後ろを振り返らずにそのまま歩き去って行った。

「なかなか良い御仁でござったな」
「…どこがだ!」

政宗の昨夜の苦悩も知らず脳天気な言葉を吐く幸村に少々腹を立てながら、政宗は屋敷の方へと歩き出した。

「あ、お待ち下され!某、何か気に障る事でも申したでござるか?」

おろおろとした表情の幸村を見て政宗は足を止めた。暫くその場で幸村の顔を眺め、徐に幸村の腰に手を回した。細く括れた幸村の腰を抱き寄せ、政宗は安堵の溜息を吐いた。幸村はそんな政宗の様子を見て、少しはにかみながら訊いた。

「今宵も…一緒に寝ても良うござるか?」

「何なら、今からだっていいんだぜ?」

政宗が答えると、幸村は顔を赤らめ小さい声で破廉恥、と呟いた。暫し視線を交わした後、二人は揃って屋敷の中へと入って行った。

屋敷中を揺るがした騒動から一日、辺りはようやく静けさを取り戻していった。


2009/11/11 up

もうベッタベタな「入れ替わり」ネタです(滝汗  …とりあえずアニキファンの方ゴメンナサイ!