D-05. Boys on the Beach

「エ〜ブリバディーゴナサーフィ〜〜ン、サーフィンUSA〜〜♪」
「ああもう、さっきから五月蠅いな−、利ィ!」

助手席に座った慶次が嫌そうな顔をして利家に文句を言う。利家は運転席でハンドルを握りながら少しむっとしたような表情をした。

「いいじゃないかぁ、慶次。歌くらい歌わせろよ」
「でけえ声でしかも調子っ外れ、頭に響くってえの!大体、何の歌だよ?」
「お前、ビーチボーイズも知らんのか?すっごく有名だぞ、“サーフィンUSA”だ」

「…んでも、同じ所ばっか歌ってるよねぇー」
一番後ろのシートに一人で腰掛けて車の振動に身を任せ、ゆったりと寛いでいた佐助が鋭い突っ込みを入れた。
「どうせそこしか知らねぇんだろ」
政宗が窓の外に目を向けながらぼそりと呟いた。窓ガラスに映った顔は呆れた表情をしていた。

「おまえら…、どいつもこいつも教師に向かって失敬な!」
「…図星であろう」
憤慨する利家に、間髪入れず元就が冷静に切り返す。隣に座っている元親が豪快な笑い声を上げた。

「利家先生、楽しそうですね」
幸村がくすっと笑う。利家は幸村の方を振り返り、満面の笑みで言った。
「おう!楽しいぞ!こうして可愛い生徒達と一緒に海に行けるんだからな!」
「と、利!運転中は前を見ろよ!危ねえぞー」
慶次に注意され、利家は慌てて前を向き直った。そして再び、同じフレーズを繰り返し歌い始める。

「やれやれ…それにしても、すげえ面子だよねえ」
慶次がちらりと後ろの座席を振り返って呟いた。慶次の後ろの席に元就、その隣に元親。そしてもう一つ後ろの席に幸村と政宗。一番後ろの席に佐助が座っている。慶次と目が合った佐助は、肩を竦めた。
「まぁ、そう言っちゃなんだけど…元就先輩が来るとは思わなかったよねぇ。意外、意外」

「…参加せねば現国の単位をやらぬと脅す、卑劣な教師が居たのでな」
元就が如何にも不機嫌そうにぼそりと言った。利家はばつの悪そうな顔をして、徐にぽりぽりと鼻の頭を掻いた。
「いやー、そうでも言わないと参加してくれないだろ。たまには毛利もクラスメートや後輩達と交流を図った方がいいと思ってなー。折角の高校最後の夏休みなんだから、大いに楽しめよ。きっといい思い出ができるぞぉー」

「…痴れ者めが」
「脳天気で羨ましいぜ」
元就と政宗がほぼ同時に呟く。利家には全く聞こえておらず、機嫌良くアクセルを踏み込んだ。俄に車が加速し、一同の眼下に、夏の日差しを受けてきらきらと輝く大海原が現れた。

「わぁ、見えてきた!海!」
幸村が窓を開け、嬉しそうに叫んだ。それを聞いて元親も窓を開け、ぐっと身を乗り出した。
「おおーいいねぇ、海を見ると血が騒ぐぜ!」

「おいおい、元親先輩、あんま身ィ乗り出しちゃ危ないぜ!」
慶次が慌てて手を伸ばし、元親のTシャツを引っ張った。それを横目に見て、政宗は目を眇め、ふん、と鼻を鳴らして呟いた。
「そのまま落ちちまえ」
その言葉を聞いて、元就が薄く笑いを浮かべた様子が、窓ガラスに映った。一番後ろで一連のやり取りを眺めていた佐助は、小さく溜息を吐いた。

「なーんか、嵐の予感がするよねぇ…」



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「うわー、気持ちいいー!!」

幸村が両手を大きく広げて声を上げた。深く深呼吸をして潮の香りを吸い込む。そして元気よく砂浜の上を走り出し、波打ち際で海水に足を浸して、無邪気な笑顔を浮かべた。

「おい、真田!一人で遠くに行くなよ!危険だからな!」
利家に注意され、幸村ははーい、と手を振った。佐助はバッグの中からビーチボールを取りだして膨らまし、それを手に幸村の後を追った。慶次は皆の荷物が置かれた場所にビーチパラソルを立てた。

「さあさあ、お前らも、折角来たんだから楽しめよ!」
利家が元就と政宗、それに元親の背中をぐいっと押した。元親はようし、と腕を上げ、元気よく海に入って行った。政宗は大きく溜息を吐き、不機嫌な顔で利家を睨んだ。
「お、どうした伊達?あ、お前…もしかしてカナヅチかあ?」
「…てめぇは担任のくせに、俺の水泳の成績を知らねぇのかよ?」
「あ、そういえばお前、水泳で学年二位の記録出したんだっけ。一位は…長曾我部だったな」
そう言って利家は元親の方に目を遣った。元親はかなり深い所まで行き、波に逆らって豪快にクロールで泳いでいる。
「流石だなあ、アイツ。元々スポーツ万能な奴だけど、水泳は特に飛び抜けてるよな」
「…大方、前世は河童か何かであろう」
元就が小馬鹿にしたような表情で鼻を鳴らした。後ろで荷物の整理をしていた慶次がぷっと吹き出した。

「おーい慶次、早く来いよー」
腰の辺りまで波に浸かって楽しそうにはしゃぎながら、幸村と佐助が慶次を呼んでいる。その声を聞いて、政宗が慶次に声を掛けた。
「…行けよ。俺が荷物番しててやる」
「政宗先輩、泳がないのかい?」
「授業でもあるまいし。別に無理に泳ぐ必要はねぇだろ。俺はここで昼寝してるぜ」
「…んじゃ、コイツも頼むかな」
慶次は夢吉を政宗の肩に乗せ、軽く手を振って、波打ち際へと走って行った。

「やれやれ…」
政宗は小さく溜息を吐きながら、ビーチパラソルの陰になっている所を選んで、ゆっくりと腰を下ろした。幸村に、ぜひ一緒に、と誘われたから来たが、暑いし、別に率先して泳ぎたいとも思わない。正直、面倒臭くてさっさと帰りたいところだが、幸村が楽しそうにしているので、まぁいいか、と思いながらふと横を向くと、これまた何とも不愉快そうな表情の元就が目に入った。

「…アンタも泳がねぇのか」
「我がそのような無益な事をすると思うか」

元就は眉一つ動かさず、無表情のままで答えた。端正だがどこか冷たい、元就の横顔。同じクラスだというのに、政宗は元就と殆ど喋った事がなかった。というか、元就と喋った事がある者は、クラスはおろか学校内でも極僅かだろう。整った容姿と明晰な頭脳を兼ね備えている元就を秘かに慕うファンは多いが、元就は誰にも興味を示さず、常に一人で行動している。まさに孤高の将、といったところだ。そんな、誰とも打ち解けない様子を見て、利家は担任として心配したのだろうが、元就からすれば大きなお世話だろう。政宗は皮肉っぽく口許を上げた。

「ま、アンタには少々、同情を禁じ得ないぜ」
「全く、利家め、余計な真似をしおって…」

元就は忌々しそうに親指の爪を噛んだ。そして切れ長の目でちらりと政宗に一瞥をくれ、ふん、と鼻を鳴らして目を逸らした。相変わらず愛想の無い野郎だ、と、政宗は元就から視線を外し、ゆっくりと仰向けに寝転んだ。真夏の日差しが痛いほどに降り注ぎ、政宗は眩しさに顔を顰めた。

「うおーい、毛利、スポーツドリンク取ってくれよ。俺のバッグの中」

ひとしきり泳ぎ、海から上がってきた元親が、元就に声を掛けた。元就は不機嫌そうな顔をして元親の鞄を探り、ペットボトルを取り出して元親に向かって放り投げた。

「おー、ありがとよ。いやー気持ちよかったぜー!アンタは泳がねえのか、毛利?」
「…泳がぬ」
「あー、なんか、如何にも泳ぎ苦手そうだもんな、アンタ」

元親は腰に手を当て、豪快にスポーツドリンクをゴクゴク飲み干しながら言った。その言葉を聞いた元就は眉間に深い縦皺を寄せ、声を荒げた。

「勝手に決めつけるな!我を誰だと思うてる!故郷の瀬戸内では海の覇者と音に知られた、毛利元就ぞ!」
「…何ィ?アンタも瀬戸内出身かあ?この俺様も瀬戸内出身よ」
「…貴様も、だと?」
「そうさ!人呼んで西海の鬼、長曾我部元親たぁ、俺の事よ!!悪ィが、瀬戸内の海は、この俺のモンだぜ!!」
「…戯れ言を申すな!瀬戸内の海は、我の物ぞ!」

海は誰のモンでもねぇだろ、と心の中で突っ込みを入れた政宗だが、敢えて言葉には出さず、目を閉じながら二人の遣り取りを黙って聞いていた。

「面白れぇ、いっちょ瀬戸内の海の支配権を賭けて、泳ぎ勝負といくかぁ? 向こうに見える大岩まで、どっちが早く辿り着くか、だ」
「…受けて立とう。負けて吠え面かくでないぞ、長曾我部!」

二人はばちばちと火花を散らしながら、ずかずかと海へ入って行った。政宗は薄目を開けて、二人の後ろ姿を見送り、鼻を鳴らした。
「阿呆らしい…」

「ふー、楽しかった!」
ひとしきり遊んだ幸村達が海から上がってきて、政宗の傍に腰を下ろした。幸村の前髪から海水が滴り落ち、幸村はそれを手で拭った。目に入ったのか、ちょっと顔を顰めて目を瞬かせる。その様子を見て政宗はゆっくりと起き上がり、鞄の中から乾いたタオルを取り出して幸村に手渡した。
「ありがとうございます、政宗先輩」
幸村はタオルを受け取って肩に掛け、顔を拭きながらにこりと笑った。
「政宗せんぱーい、俺には?」
慶次がちらりと政宗の顔を見て、悪戯っぽく笑う。政宗は慶次をじろりと睨み、ふいと顔を逸らした。
「…自分で取れ」
慶次は佐助と顔を見合わせて、軽く笑った。

「…そういえば、元親先輩と元就先輩は?」
佐助がきょろきょろと辺りを見回して、政宗に訊ねた。
「あいつらは海に入って行ったぜ」

「二人で?一緒に?」
佐助は驚いたように目を瞠った。慶次もへー、と声を上げた。
「意外な取り合わせだねぇ。…実は仲良かったりして、あの二人?」
「いやー、ありえないでしょ、あの二人に限って」
佐助と慶次が共に腕組みをしてうんうん、と頷く。その時、海から元就が上がってくるのが見えた。元就は疲労困憊といった様相で、肩で息をし、砂浜の途中でがくりと膝を付いた。

「元就先輩、大丈夫ですか!?」
幸村が慌てて元就の傍に駆け寄った。元就は息を切らせながら、途切れ途切れに言った。
「だ…大事ない…」

「元就先輩、元親先輩は?一緒に泳いでいたんじゃないの?」
佐助が元就の肩にタオルを掛けながら訊ねた。元就は佐助の顔を見上げ、息を整えながら答えた。
「…知らぬ。途中までは横を泳いでいたが、そういえばいつの間にか姿が見えなくなっていたな」

「…それって、ヤバイんじゃないか?」
慶次が慌てたように言う。皆、はたと慶次の顔を見た。
「俺、ちょっと見てくるわ」
そう言うと、慶次は矢庭に海へと飛び込み、海中へと潜って行った。幸村と佐助が慶次の消えた水面の辺りを心配そうに見守る。
「…大丈夫かな、二人共」

暫く後、慶次が海面に顔を出した。背中に元親を負ぶさっている。元親は気を失っているようで、ぐったりしていた。慶次は元親を担ぎ上げ、砂浜へと戻ってきた。

「…元親先輩!」
幸村と佐助が心配そうに駆け寄る。元就と政宗も、仕方ない、という風に傍に寄って行った。慶次はゆっくりと元親を下ろし、砂浜に横たえた。
「どうやら、泳いでいる途中で足をつったみたいだな。かなり水を飲んでいるようだし…早く手当しないと」
「手当…って」
「まぁ…溺れたんだから、人工呼吸だろうな」

その場に居る全員が、黙って元親を見下ろした。そしてその場は暫し沈黙に包まれた。

『長曾我部に人工呼吸だと…?冗談ではない』
『こんな奴、放っといても死にゃしねぇだろ…』
『可愛い女の子にするんなら大歓迎だけど…元親先輩相手じゃ、絵面が美しくないねぇ』
『流石の俺様も…ちょっと躊躇しちゃうよねえ』

それぞれの思惑が心の中を過ぎってゆく。皆、気まずそうに黙ったままで誰も口を開こうとしない。その沈黙を破ったのは幸村だった。

「ちょ、ちょっと皆、なんで黙ってるんですか!?早くなんとかしないと元親先輩が…」

幸村は焦った表情で皆の顔を見回した。が、皆一様に目を逸らすばかりで、誰も元親を助けようとする者が居ない。

「そうだ、利!利は?」
慶次が思い出したように利家の名前を口にした。それを聞いて、佐助もぽんと手を打った。
「そうだよ、こういう時こそ利家先生の出番じゃない?どこに行ったの、あの人?」
皆、辺りを見回したが、利家の姿はどこにも見当たらない。

「利家先生ーー!!」
佐助が大声で名を呼んだが、利家が現れる気配は全く無かった。
「ちッ、全く役に立たねぇ野郎だぜ…」
政宗が舌打ちしながら言い放った。頼みの綱も切れ、全員の間に再び困惑した空気が流れた。

そんな皆の煮え切らない態度に業を煮やした幸村は、一瞬躊躇ったが、意を決したようにきっぱりと言い放った。

「分かりました………俺が、俺がやります!!」

「えっ!?」

皆、目を瞠って幸村の顔を見た。相当の勇気を振り絞ったのだろう、幸村は顔を赤くし、額にじっとりと汗を浮かべていた。思いがけない言葉に、佐助が驚いたように訊いた。

「ちょ、ちょっと、本当にやるの幸ちゃん!?」
「…だって、このまま放っておいたら、元親先輩が死んじゃうだろ!」

幸村はごくり、と唾を飲み、徐に元親の傍に膝を付いた。そして元親の顔を眺め、暫し戸惑って目を泳がせていたが、決心したように口をぎゅっと結び、肩を小さく震わせながら、元親の唇に自分の唇を近寄せていった。

その瞬間。

「待てッ!!!」

政宗が慌てたように叫び、幸村の肩を掴んでぐいっと自分の方へ引き寄せた。幸村の身体が大きく後ろに反り返り、元親から離れた。政宗が存外大きな声を上げたので、皆驚いて政宗の顔を見遣った。幸村は吃驚した表情で政宗を見た。

「ま、政宗先輩!?」

幸村の唇が元親の唇に触れそうになるのを見て、咄嗟に体が反応したのだろう。政宗は至極ばつの悪そうな表情をして皆の視線から顔を背けた。そして焦る幸村に向かってきっぱり言った。

「…俺が何とかする」

政宗は横たわる元親をじろりと見、次の瞬間、元親の腹を強かに足で踏ん付けた。

「…長曾我部なんざ、こうしときゃ十分だ」

鳩尾の辺りを強かに踏まれ、元親の体がぐらりと上下に跳ねた。

「うぅっ…」
苦しそうな呻き声を上げ、元親が顔を顰めた。そしてごほ、と口から水を吐き、俄に咳込んだ。

「ぐぅっ、が、がはッ…」
「元親先輩!!気が付いたんですね!大丈夫ですか!?」
幸村が心配そうに声を掛けた。元親はうっすらと目を開けて、自分を覗き込んでいる皆の顔を順番に見回した。

「お…俺は一体、どうしたんだ?」
「我と競泳している途中で溺れたのだ。河童のくせに情けない奴め」
元就が元親に冷ややかな一瞥をくれた。慶次が元親の体をゆっくりと起こし、背中を擦った。

「溺れた…だと?この俺が…」
元親はその事実に大いにショックを受けたようだった。西海の鬼、と渾名された程だから相当泳ぎには自信があった事だろう。そのプライドを激しく傷つけられ、元親は俯き、もう一度、この俺が…、と力無く呟いた。そんな元親の姿を見て、幸村が慌てて声を掛けた。
「で…でも、無事で何よりです!元親先輩!」

幸村のフォローも虚しく、元親は黙って項垂れた。それに追い打ちをかけるように、元就が高らかに笑う。
「ふん、何が西海の鬼か。片腹痛いわ。これで瀬戸内の海が我の物だという事が分かっただろう」
「う、うるせえぞ毛利!きょ、今日はちょいと、調子が悪かっただけだ!」
「この期に及んで負け惜しみとは…長曾我部よ、往生際が悪いな」

元就と元親の間に険悪な空気が漂う。佐助が慌てて仲裁に入ろうとした時、後ろの方から呑気な声が聞こえてきた。

「おーい皆、そんな所で集まって、一体何やってんだー?」
皆が一斉に振り返ると、利家が大盛りの焼きそばを手に持って歩いてきた。

「…利、そりゃーこっちの台詞だぜ。一体、今までどこで何やってたんだよ?」
慶次が呆れ顔で訊き返す。利家は機嫌良く焼きそばを頬張りながら、左手に持っていたビニール袋を差し出した。
「んー、そこの海の家で飯食ってた。お前らにもお土産。ホラ、たこ焼き!」

「…心底、役に立たねぇ教師だな…」
政宗が渋い顔をして吐き捨てるように呟いた。それに同意するように、皆、大きな溜息を吐いた。

「…なんだよ、皆して。何かあったのか?」
きょとんとした顔で利家が訊いてくる。慶次は利家の肩にぽんと手をかけ、ふるふると頭を振りながら言った。
「いや、利はいつでも幸せそうで羨ましいな、ってね」

「…?」
利家は不思議そうな顔をして、疲労困憊したような教え子達の顔を順番に眺めていた。



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−




「流石に疲れたみたいだな。…しかし豪快なイビキだなあ」

利家がバックミラーで後ろの席の元親を見ながら、軽く溜息を吐いた。元親はシートに深くもたれて腕を組み、大きな口を開けて爆睡していた。隣の席の元就が心底不愉快そうに毒づいた。

「喧しい…この溺れ河童め」
「も…元就先輩、しーッ!!…それはもう禁句だよ」
慶次が慌てたように、人差し指を立てて口の前に当てた。佐助がフォローするように口を挟んだ。
「まぁ、こうして元親先輩も無事だったし、良かったよね」

幸村が後ろの佐助を振り返ってうんうん、と頷いた。そして隣に座る政宗に視線を移し、不思議そうな顔で訊ねた。

「…でも、なんであの時、俺を止めたんですか、政宗先輩?」

ぼんやりと窓の外を眺めていた政宗は、唐突な質問に少し驚いたような顔をし、幸村をちらりと見た。邪気の無い幸村の純粋な瞳が政宗を見つめている。その真っ直ぐな視線に少々居たたまれなくなり、政宗は顔を顰めて目を逸らし、低く呟いた。

「…別に」
「別に、じゃないですよ。元親先輩に万が一の事があったら、大変だったじゃないですか!」

幸村はちょっと膨れ、政宗を咎めるような口調で言った。政宗は渋い顔をして腕を組み、再び窓の外に視線を戻した。幸村は納得いかない、という様子で政宗の顔を覗き込んでいる。そんな政宗に助け船を出すように、助手席の慶次が幸村の方を振り返って言った。

「まあまあ幸村。男には、絶対に譲れないってモンがあるのさ。なァ、政宗先輩?」

慶次が政宗の顔をちらりと見、にやっと笑う。一番後ろの席に座っていた佐助も、徐に身を乗り出し、楽しげに笑いながらうんうんと頷いた。前から慶次、後ろから佐助に挟まれ、政宗は至極ばつの悪そうな顔をした。幸村は三人の顔を順番に眺め、訳が分からないというように小首を傾げた。
「…どういう意味だよ?」

それはねー、と言葉を続けようとした慶次に向かって、政宗が空のペットボトルを投げつけた。慶次は慌ててそれをキャッチし、政宗に向かって悪戯っぽい笑顔を見せた。

「もういいだろーが、その話は。俺は寝るぜ」

政宗は不機嫌そうに言い放って顔を背け、話は終わりだとばかりに目を閉じた。慶次はちょっと肩を竦め、くるりと前に向き直った。幸村は不満そうな顔をしていたが、佐助が後ろから手渡したオレンジジュースを受け取り、表情を緩めた。政宗は薄く目を開け、幸村の唇がペットボトルに触れるのを横目でちらりと見、口の中で小さく呟いた。

−俺もまだ触れていない幸村の唇、長曾我部なんぞにむざむざと奪われてたまるか。

政宗は再び目を閉じ、目の前で大いびきをかく元親のシートを足で思い切り蹴り上げた。背中に衝撃を受け、元親は飛び上がって目を覚まし、何が起きたかときょろきょろと周りを見回した。元親と目が合った幸村が訊ねる。

「…どうかしたんですか、元親先輩?」
「い、いや、今なんか揺れなかったか?地震か?」

「大方、海で溺れた夢でも見ていたのであろう」
元就が不遜な笑みを浮かべて元親を見る。元親はぎりぎりと歯軋りしながら元就を睨み付け、拳を握り締めて怒鳴り声を上げた。
「その話はするな!毛利!!」

元就は如何にも楽しげにくっくっと笑い声を立てた。それを聞きつけ、利家が嬉しそうな声をあげた。

「おお、毛利もすっかりクラスメートと打ち解けたみたいだな!やっぱり、来て良かっただろう!なッ!」

元就は笑うのを止め、顰め面で利家を見た。利家は全く気付かずに、上機嫌で鼻歌を歌い始めた。
「エ〜ブリバディーゴナサーフィ〜〜ン、サーフィンUSA〜〜♪」

慶次は苦笑いし、頭の後ろで腕を組みながら息を吐いた。
「まったく、ホントに羨ましい性格だよね、利は」

窓の外では陽が傾きかけ、車内をオレンジ色に染めている。どこかからカナカナと蜩の鳴く声が聞こえてくる。車の振動が揺り籠のように心地よく響き、利家の調子っ外れな鼻歌を子守歌に、皆ゆるゆると優しい眠りに誘われていった。

少年達の夏も間もなく終わる。季節はゆっくりと移り変わりを見せようとしていた。



2009/12/11 up