B-11. 酒は情けの露雫

奥州・伊達屋敷の中庭に、聳え立つ大木があった。政宗の曾祖父が植えたという枝垂れ桜の木である。それが今年も見事な花を咲かせたので、儚い美を愛でようと、政宗は重臣達を集めて酒宴を催した。中庭を臨む大広間での和気藹々とした集いには、腹心・片倉小十郎、従兄弟の伊達成実を始め、鬼庭良直、石川昭光、白石宗実など、錚々たる顔ぶれが揃っている。その中に、甲斐から遥々、政宗を訪ねてやって来た幸村の姿があった。

「おうい幸村、呑んでるか?…何だ、酒が入ってねえじゃねーか」
成実が機嫌良く幸村の肩を抱きながら、空の杯に酒をなみなみと注いだ。幸村は困ったように引き攣れた笑顔で成実に礼を言った。

「か、かたじけのうござる、成実殿。…だが某、酒は余り嗜む方では…」
「なーに言ってんだよ、今夜は無礼講だぜ!遠慮なく呑め呑め!」

言いながら成実は豪快にぐいぐいと杯を呷ってゆく。この呑みっぷりはかなりの酒豪のようだ。無下に断る訳にもいかず、幸村は仕方なく注がれた酒をぐいっと呑み干した。

「うっ…」

舌の上に苦い感覚が残り、幸村は顔を顰めた。喉の奥が熱くなり、俄に顔が上気した。

「おお−、いけるじゃねえか、幸村!もっとどんどん呑めよ!」
成実はかなり酔っているようで、幸村の戸惑いにも気付かず、矢継ぎ早に酒を注ぎ足した。幸村は困り果て、助けを乞うような視線を政宗の方へ向けたが、政宗の周囲を重臣達が取り囲んで何やら話し込んでおり、声を掛けられるような雰囲気では無い。肩を叩いて呑め呑めと促す成実の顔をちらりと見て幸村は一つ小さな溜息を吐き、覚悟を決めたように杯を呷った。空になった杯に成実は次々と酒を足していった。

開け放った障子の向こうから、春風に乗って甘い花の香りが漂ってくる。はらはらと散る花びらの一枚が部屋の中へと舞い込んできて、政宗の杯の中へその身を落とした。

「So nice…なんとも風流だな」

政宗は口許に笑みを湛えた。宴も酣、重臣達もほろ酔い気分で、こうこうと輝く月と、月光に照らされて銀色に光る桜を見比べ、感嘆の声を上げていた。

政宗の耳に異変を告げる成実の声が聞こえてきたのはその時である。

「おい、幸村!?…大丈夫か、しっかりしろ!」

政宗が声の先を辿ると、成実がぐったりした幸村を抱きかかえている。政宗は咄嗟に、帯に挿してあった扇子をすっと取り上げ、成実目がけて投げつけた。扇子は成実の後頭部に当たり、ぱたりと床に落ちた。

「痛…てッ!」
「おい!何してる、藤五!!」

政宗の周りを囲んでいた重臣達の視線が一斉に成実に向かった。成実は焦り、おたおたと政宗の顔を見た。

「い、いやー、ちょっと呑ませ過ぎちまったみたいで…気ィ失っちまったんだよ」
「…何だと!?」

政宗は眉を顰めて立ち上がった。重臣達がさっと脇に寄り、政宗の前を空けた。政宗は急ぎ足で幸村の元へ行き、片膝をついて幸村の顔を覗き込んだ。

「おい、幸村」

呼びかけるが返事が無い。政宗は手の甲でぴたぴたと軽く幸村の頬を打ったが、眼は閉じられたままで、微かに苦しげな吐息が聞こえてくる。

「藤五、てめぇ…」

政宗は鋭い目で成実を睨み上げ、成実の手から引ったくるように幸村を抱き上げた。幸村は政宗の腕の中で力無く撓垂れており、気付く様子は無い。小十郎がつと政宗の前に歩み出でた。
「政宗様、客間に床を延べさせておきました。…連れて行きましょうか?」
「いや、いい、俺が連れて行く。この場は任せたぜ、小十郎」
「承知致しました」
小十郎は恭しく頭を下げた。政宗は脱力している幸村の身体を抱え直すと、行き掛けの駄賃に成実を思いきり蹴り飛ばした。うぎゃっ、という成実の叫び声が上がったが、政宗は聞こえない振りをして、そのまま大広間を出て客間へと向かった。



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客間に整えられた褥に幸村の身体をそっと横たえ、政宗は小さく息を吐いた。確かに呑ませたのは成実だが、このような状況になるまで幸村を放っておいた自分にも責はある。折角わざわざ甲斐から遠い道程をやって来たのだから、もっと気に掛けてやれば良かったと、政宗は後悔した。申し訳ないような気持ちで、幸村の額に手を置いたその時、幸村が薄く目を開けた。

「う…ん…」
「気付いたか。具合はどうだ?」

問いかけたが、幸村は焦点の合わない目付きでぼんやりと天井を眺めている。視線がゆらゆらと揺れている所を見ると、まだ酔いが覚めてはいないようだ。幸村はゆっくりと唇を動かし、掠れた声を出した。

「…み…ず…」
「水?」

政宗が辺りを見回すと、褥の横に水桶が用意されていた。柄杓で水をすくい、幸村の上体を少し起こして、口元に運んでやると、幸村は貪るように夢中でそれを飲み干し、ふー、と大きく長い息を吐いた。

「…大丈夫か?」

政宗が柄杓を水桶の中に戻しながら訊くと、幸村は顔を上げ、政宗の顔をまじまじと眺め、ぱちぱちと目を瞬かせた。

「ま…さむね…どの…?」

自分の目の前に居るのが誰だか、ようやく分かったらしい幸村に向かってそうだ、と頷いた政宗の耳を、次の瞬間、思いがけない怒号が貫いた。

「馬鹿ーーーーーーーーーーーーっ!!!!!」

「Ha!?」

政宗は呆気に取られ、思わず我が耳を疑った。戸惑いを隠せずその場で固まる政宗に向かって、幸村はすっと手を伸ばし、そのままがば、と強く抱きついた。

「お、おい幸村!?」
「それ、それがしは、さびしかったれ、ござるよ!!」

呂律の回らぬ口で、幸村が辿々しく政宗を責めた。

「せ、せっかく、ひさびさにお、お会いれきたというろに、まさむねどのは、それがしを、ほっ、ほっぽって、他のかたとばかり、話をされて…」

その言葉を聞いて政宗の胸の奥がちくりと痛んだ。やはり心細い思いをさせてしまっていたのか。政宗は詫びるように幸村を抱き締め、優しく背中を擦った。

「Sorry、悪かった」

いつもの幸村ならば、そうしてやれば恥じらうように政宗の胸に身を預けてくる。が、強かに酔っている今日の幸村は、政宗を思い切り突き離し、口をへの字に曲げ、眉尻を上げて政宗の顔を見据えた。

「そ、それがしは、怒っているのれござる!」
「だから、謝ってんだろ…」
この酔っぱらいが、と、政宗は眉間に皺を寄せた。布団を被せて無理矢理寝かせちまうか、と思案する政宗に向かって幸村が手を伸ばし、肩を掴んでぐいと引き寄せた。

「なッ…!」

政宗は目を瞠った。ちゅ、と乾いた音がして、幸村が政宗に口付けたのだ。しかも、いつも政宗が接吻すれば、破廉恥だの何だの言って恥ずかしがるくせに、今はそれを恥じらう様子も見せず、潤んだ瞳で政宗を見上げている。

「お、おいアンタ…一体どうしたんだよ?」

酔いの回った幸村の行動は、政宗の予想の範疇を超えている。幸村は再び政宗の首の後ろに手を回し、徐に唇を合わせてきた。酔いに任せて無意識にしているのだろうが、その手管は正しく政宗が教え込んだものだった。交わす唇から熱い吐息が漏れ、幸村の熱が感じ取れて、政宗も思わず幸村の身体を掻き抱いた。

「幸村…」
「まさむね、どの…」

火照った頬を撫でてやれば、幸村は着物の肩をするりと落とした。露わになった両の肩が微かに上下している。政宗を見上げる瞳はどこか挑発的で、戦場で対峙している時の幸村を思い起こさせる、焔の宿った目だ。それを見て政宗の情動が強く揺さぶられた。

「この俺を挑発するとは、いい度胸じゃねぇか…」

政宗はにやりと笑うと、荒々しく幸村の着物を剥ぎ取り、傍に放り投げた。幸村は政宗の首筋に縋り付き、幾度も政宗の唇を求めてきた。政宗はそれに応えるように唇を合わせて深く舌を絡め、そのまま幸村の身体を褥に倒した。いつもは幸村の緊張を解きほぐす為、時間をかけてゆっくりと愛撫してやるのだが、今日は幸村の方から政宗を求めてきている。それを確かめるように、政宗は幸村の下腹部に手を伸ばし、熱の高まりを探った。

「あ…んんッ」

幸村が身を捩るが、抵抗はしない。政宗は幸村の秘部に指を滑り込ませて中を探った。熱く濡れた感触が指に伝わる。政宗の指の動きに合わせて幸 村の身体がびくびくと跳ね、甘い吐息が口から漏れた。

「今日は随分と…大胆じゃねえか」

幸村が果てるまで蹂躙した後、政宗はゆっくりと己の着衣を脱ぎ捨てた。普段とは違う幸村の反応を見、否が応でも昂ぶる気持ちを抑えようとはせず、政宗は幸村の膝を開き、すぐにその身の内に己を差し挿れた。

「あ…ああッ…、ま…さむねどの…」

幸村の口から大きな声が上がる。幸村はいつも行為の最中はきつく唇を噛み締めて声が出るのを耐えている。だからこのような反応も初めてで、政宗の身体が更に熱を帯びる。

「ぅあ…ああ、ああ…んッ…」
「いい声で…鳴くじゃねえか、幸村?」

もっと声を上げさせたいと、政宗は何度も激しく突き上げた。幸村の身体が大きく揺れ、褥がしどけなく乱れてゆく。幸村は夢心地のような濡れた瞳で政宗を見上げていたが、俄に政宗の肩を掴んで引き寄せ、強く歯を立てた。

「…ッ痛ぅ…」

瞬間驚いて、政宗は動きを止めた。肩口にくっきりと付けた歯形を、幸村はそっと舌で舐めた。

「…俺を、喰い殺そうってか、虎の若子」

政宗は舌を這わせる幸村の様子を見ながら、微かに口角を上げた。

「…竜は、そう易々とは喰い殺されねぇぜ…」

政宗の隻眼に青い焔が宿った。身体を重ねる快感の上に重ねて、戦場で刃を交えている時のような高揚感が湧き起こってくる。そうだ、これは戦いなのだ。いつも閨の中で恥じらって、本当の自分を出そうとしない幸村ではなく、今日ここに居るのは紛れもなく、全身全霊で政宗を求める幸村。政宗は思いもかけない悦びに身を委ね、更に激しく逆巻いて幸村の中へと流れ込んだ。政宗が伽をさせる女達では、到底このような激しさには付いてこられはすまい。政宗の熱情を確かに受け止められるのは、真田幸村、只一人だけなのだ。

「まさ…むね…どの、まさむねどの…ッ…!!」

身体を貫く快感に身を任せ、あられもない声を上げる幸村の姿を見て政宗は目を眇め、荒い吐息の下で呟いた。

「上等だ…アンタ…上等だよ…」

その夜の幸村は何度も政宗の名を呼び、政宗を求めた。酒という媚薬の見せる今宵限りの夢のようなものだ、そう思いながら政宗は幸村の求めに応え、幸村の中に熱を流し込み、やがて最上の快楽の内に己も果てた。



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「ん…」

朝日の眩しさに、幸村はぼんやりと薄目を開けた。頭の中がぼうっとしていて、自分が何処に居るのかよく分からなかった。手で目を擦り、二・三度瞬きをして、ようやくしっかりと目を開けると、眼前に政宗の寝顔があった。

「…え!?」

思わずがば、と跳ね起きたが、その瞬間、体中に鈍い痛みが走り、幸村は身を屈めて顔を顰めた。一体何故こういう状況に置かれているのかと、幸村は額に手を当てて、昨夜の事を思いだそうとしたが、大広間で成実と一緒に酒を呑んでいた所までで記憶がぷつりと途切れている。辺りを見回せばいつの間にか、客間と思しき部屋に床が延べられ、そこで政宗と同衾している。気付けば何も着ていない。昨夜あれから何があったのかと眉間に皺を寄せ、幸村は小さくうーん、と唸り声を上げた。

「よーお、お目覚めか?やっぱ早いな、アンタ」

掠れた声が聞こえ、幸村が見下ろすと、政宗が小さく欠伸をしている。

「お…お早うござり申す、政宗殿…。あの、某は…昨夜…一体どうなったのでござるか?」
「ン?…何も覚えていねぇのか?」
「…恥ずかしながら…」

幸村は頬を赤らめてこくりと頷いた。政宗は可笑しそうに幸村の顔を見上げていたが、もう一つ欠伸をしながら言った。

「さて…な。…まぁ、俺は楽しかったぜ、Thank you」
「???」

幸村は至極不思議そうな表情で政宗の顔を見た。政宗はゆっくりと身を起こし、怪訝そうな顔の幸村に軽く口付けた。

「なッ…何をされるか、こんな朝っぱらから、破廉恥な!!」

幸村は顔を真っ赤にし、後退りしながら手で口元を押さえた。いつもの幸村に戻ったか、と、政宗は苦笑しながら、その様を眺め、両手を上げて大きく伸びをした。

「もうすぐ朝餉の時間だろ。俺は部屋に戻って着替えてくる。お前も支度しとけ」
「わ…分かり申した」

政宗は昨夜脱ぎ捨てた物を軽く身に纏い、客間を後にした。残された幸村はやはり訳が分からないといったような不可解な顔で、暫しその場に固まっていた。

「…おい、梵天、梵天」
自室へ戻る途中で、成実が政宗を呼び止めた。政宗は振り返り、申し訳なさそうに頭を掻く成実の顔を見た。

「昨夜は…その、悪かったな。幸村があれ程酒に弱いとは知らなかったんで、つい呑ませ過ぎちまってよ…」

政宗は暫く成実の顔を眺めていたが、軽く口角を上げて言った。
「…まぁ、新たな発見もあったしな。たまには強かに酔わせるってぇのも悪くねぇぜ」
「え?」
「…いや、こっちの話だ」

政宗は機嫌良く、再び自室へと足を向けた。成実は小首を傾げ、政宗の後ろ姿を見送っていた。

政宗が、甘く口当たりが良くて呑みやすいが、きつくて酔いが回りやすい酒を手配させたのは、それからすぐの事である。





2009/12/30 up

史実では、成実の幼名は『時宗丸』なのですが、通称の『藤五郎』の方が響きが好きなので、幼名を『藤五』という事にしています。
ちなみにうちのパソは『しげざね』と打っても『成実』と変換してくれません。なのでいつも『なるみ』って打ってる…。