D-02. Bitter&Sweet

「おーい幸村、今日は部活無いんだろ?なら一緒に帰ろうぜ」

ホームルームが終わると同時に帰り支度を始めていた慶次が幸村に向かって声を掛ける。幸村はわたわたと慌てて、鞄の中に教科書を詰め込んだ。

「幸ちゃんは毎日ちゃんと教科書を持って帰ってるんだよねー。真面目だよねえ」
佐助が感心したようにその様子を眺めて言った。幸村は眉尻を上げた。
「武田先生に言われただろ。教科書は毎日きちんと持ち歩け、って!」
「…それにしちゃ、家で予習とか復習とかしてるの、見た事無いけどねー」

痛い所を突かれて、幸村はばつの悪そうな顔をした。慶次が笑って、佐助と幸村の肩にがっしりと腕をかけた。

「まあまあ、その素直で真面目なとこが幸村のいい所だよ。さあさあ、とりあえず早く帰ろうぜ。俺、腹減っちまったよ」

「…やっぱり慶ちゃんって、利家先生の甥っ子だよねえ」

食欲旺盛なのは前田家の血筋かな、と、佐助が笑う。三人は揃って教室を出、下駄箱で靴を履き替えて校庭に出た。今日は陸上部がグラウンドを使う日のようで、白線で描かれたトラックには等間隔にハードルが並べられていた。練習の邪魔にならないようにと、幸村達は校庭を突っ切らず、校舎の脇を回り込むように歩いた。体育館の前を通り過ぎようとした時、慶次が佐助に向かって言った。

「お、今日は新体操部が練習やってるみたいだぜ」

扉は開放されており、体育館の中の様子が良く見える。慶次と佐助は立ち止まり、中を覗き込んだ。

「おおっ、いるじゃん、かすがちゃん」

慶次が佐助の背中をばん、と叩いた。佐助はよろっと前につんのめり、ちょっと眉を顰めて慶次の顔を見遣った。慶次はにやっと笑い、佐助の肩に手を置いた。
「どの子も可愛いけど、やっぱかすがちゃんがダントツかなー?スタイルもいいし」
「…まあ、口さえ開かなきゃ、ね」

佐助は鼻の頭を擦り、練習に励しむかすがの様子を眺めた。白い半袖の体操服に紺のブルマー姿のかすがは、高い平均台の上を軽やかに舞っている。整った容姿にすらりと伸びた手足。ちょっと気が強い所もあるが、ふとした時に見せる女らしい表情が可愛いと、かすがは男子生徒から秘かに人気が高い。佐助は中学校の頃からかすがを知っているが、高校に入ってからの彼女は一足飛びに大人びて綺麗になったような気がする。それも偏に恋のなせる業か、と佐助は思い、その相手が自分ではない事に、ちょっと苦笑して小さく溜息を吐いた。

暫しぼんやりとかすがの練習姿に見入っていた佐助を、慶次が訳知り顔で見、肩をぽんぽんと叩いて茶化すように言った。
「うーん、目の保養になるねえ」

「ふ、二人共、そんなにしげしげと女子の体操服姿を眺めるなんて、はっ…破廉恥だぞ!!」

相変わらず奥手で女子が苦手な幸村が、慶次と佐助の後ろで顔を赤くして怒る。佐助はふっと笑って、幸村の方を向いた。
「はーいはい、んじゃ行きましょうかね」
慶次も苦笑いして、軽く肩を竦めた。色恋沙汰に疎い幸村には、佐助の気持ちは到底分かりそうにないな、と、慶次は幸村の顔を見ながら徐に自分の顎を撫でた。

三人は体育館前を通り過ぎて、隣にある剣道部の道場前に差し掛かった。

今日は陽気が良く、少し汗ばむ程だからか、体育館と同じく道場も扉を開け放ってあった。慶次は扉の前で足を止め、こそりと中を覗き込んだ。
「…利の奴、居るのかな?見つかると、剣道部に入部しろって五月蠅いからなあ」

慶次の叔父、前田利家は剣道部の顧問をやっている。実力があるのにそれを有効に使おうとせず、ふらふらしている甥の慶次を心配し、慶次が入学した時からずっと剣道部に入るようにと勧誘していたのであった。利家の事は好きだが、慶次にしてみればそれは少々、余計なお世話なのである。佐助も慶次と一緒に道場の中を見回した。

「利家先生は居ないみたいだねえ。…あ」
佐助が幸村を手招きする。幸村は小首を傾げて佐助の傍に歩み寄った。

「幸ちゃん、ホラ、政宗先輩が居るよ」

佐助に背中を押され、幸村は前に出た。政宗は丁度稽古を終えた所らしく、防具を外している最中だった。そこに後輩が一人近付いて来て、政宗にタオルを手渡した。政宗はタオルを受け取り首に掛けて、額の汗を拭った。そして徐に、胴着の白一重の上着を脱いだ。後輩に声を掛けられ後ろを向いた政宗の、鍛え上げられた広背筋と上腕二頭筋が目に入る。色香すら漂うようなその背を見て、幸村の頬が俄に上気した。思わず政宗の姿に見惚れていた幸村の肩に、慶次と佐助がぽん、と手を置き、同時に大きな声で叫んだ。

「幸ちゃーん、は・れ・ん・ち!!」
「な…ッ…!!!」

からかわれて大いに動揺し、顔を真っ赤に染めて拳を振り上げる幸村を見て、慶次と佐助は大笑いした。その声で幸村達が居る事に気付いた政宗は、幸村の方を振り返り、軽く微笑んだ。

「…………!!」
幸村は思わず直立不動の姿勢になり、そのままぺこりと深く頭を下げた。しゃちほこばった幸村の姿を見、政宗は思わずくっと笑い、幸村に向かって右手を上げた。幸村は照れたような笑顔を見せ、もう一度軽く会釈して、慶次と佐助の方に向き直った。

「…さ、帰ろう」
「声、掛けなくていいの?」
「うん、部活の邪魔しちゃ、政宗先輩に悪いし」

慶次と佐助は顔を見合わせて、ちょっと目配せし、校門へ向かって歩き出した。幸村も後に続いたが、一瞬足を止め、ちらと道場の方を振り返った。道場の中では既に着替えを終えた政宗が、後輩達の練習を見てやっている。後輩達はとても嬉しそうな表情で、熱心に指南を受けていた。幸村はちょっと羨ましいような寂しいような気持ちになったが、くるっと踵を返し、慶次と佐助と一緒に家路に着いた。



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「じゃー幸ちゃん、鞄置いたらお風呂に入っちゃってね。俺様、ゴハンの支度しておくから」

そう言うと、佐助はリビングを抜け、自分の部屋へと向かっていった。幸村は分かった、と返事をして自分の部屋に入り、机の上に鞄を置いた。そして制服の上着を脱いでハンガーに掛け、皺を取ろうと軽くブラシをかけていると、ポケットが膨らんでいる事に気が付いた。

「あ、携帯、入れっ放しだったっけ」

ポケットに手を入れて携帯を取り出すと、メールの着信を知らせるイルミが光っている。誰だろう、と思いながら携帯を開いてみると、慶次からだった。

「…なんだろう?さっきまで一緒だったのに。何か言い忘れた事でもあるのかな?」

幸村は小首を傾げながらメールを開いてみた。

「なッ…うわあッ!!」

幸村は思わず後ろに蹌踉めいて、そのままベッドに尻餅をついた。弾みで手から離れた携帯がベッドの上に投げ出された。幸村は画面を横目で見、顔を真っ赤にした。

「け、け、慶次の奴うーーー!!!」

メールには、いつの間に撮ったのか、先程の政宗の裸身の写真が添付されており、慶次のお得意の台詞が一言だけ書かれていた。

『命短し、人よ恋せよ!』

慶次の悪戯っぽい笑みが幸村の頭に浮かんだ。こんな写真、間違って誰かに見られでもしたら大変だが、さりとて無下に削除するのも忍びない。どうしていいのか分からず、幸村は携帯を見下ろしたまま硬直していた。

「ちょっとー幸ちゃん、お風呂入ってって言ったでしょ…って、どしたの?」

軽いノックの後、ドアを開けて部屋に入ってきた佐助の目に映ったのは、ベッドの上に置かれた携帯と、それを見詰めたままの姿勢で固まり、頭から湯気を出さんばかりに赤面している幸村だった。何事かと思いながら開かれた携帯の画面をちらりと覗き見て、佐助は豪快に吹き出した。

「うっはー、いいじゃん、これ!幸ちゃん、待ち受けにしなよ!」
「ば、馬鹿言うな!破廉恥だぞ佐助ーーー!!!」

本気で焦る幸村の顔を眺めて、佐助は腹を抱えて笑った。ようやく恋に目覚めたとはいえ、まだまだ奥手で純情な幸村は本当にからかい甲斐がある。怒った幸村に枕を投げつけられて、佐助はそそくさと幸村の部屋を出た。そして慶次に一言、メールを打った。

『慶ちゃん、グッジョブ!』

間髪入れずに慶次からの返信が来る。

『アンタも頑張れよ!』

それを見て佐助は軽く笑った。そしてふとかすがの顔を思い出し、頭の後ろで手を組み、小さく息を吐きながら独りごちた。

「幸ちゃんに負けないよう、俺様もいっちょ、頑張りますかね。…命短し、人よ恋せよ、かぁ」

佐助の恋敵はこの上なく手強い。だが勝負はまだこれからだ、と、佐助は口許を上げた。佐助も幸村も、熱い高校生活はまだ始まったばかりである。



2010/01/03 up