B-01. 風に揺れる花

広い草原の中、刃の交わる鈍い金属音が澄んだ青空に響き渡った。六刀と二槍が交差して、政宗と幸村は互いに手を止めた。

「…やるじゃねえか、真田幸村」
「政宗殿、貴殿こそ!」

政宗が不敵な笑みを浮かべ、二・三歩後ろに下がって間合いを取った。幸村も朱槍を構え直し、目の前の好敵手をじっと見据えた。少しでも気を抜けば、政宗は容赦なく六刀を叩き込んでくるだろう。押し寄せる威圧感に幸村は息を詰め、身じろぎせずに政宗の一挙手一投足に全神経を集中させようとした。

その刹那、どこからかキョッキョッ、と声がする。

「な、何事!?」

幸村が声のした方を目線で探ると、自分の掲げた朱槍の先に、一羽の不如帰が留まり、のどかに囀っている。それを見た幸村は、余りの平和な光景に思わず拍子抜けして一気に緊張が解け、構えた槍を力無く下ろした。と同時に、不如帰は青空に吸い込まれるように飛び去って行った。

「…ッたく、とんだ邪魔が入ったな」

政宗は苦笑いし、徐に六刀を腰の鞘に収めた。幸村はきょとんとした表情で政宗の顔を見た。

「…勝負はお預けでござるか?」
「気が削がれた。今日はここまでにしようぜ」

政宗の言葉を聞き、幸村は一つ、大きく深呼吸をした。政宗とはもう幾度となくこうして手合わせをしているが、未だに決着がついていない。政宗はその事に対して大いに不満があるようだが、幸村は内心、ほっとしていた。決着がついてしまえば、もう政宗と顔を合わせる事も無くなってしまうのではないか、と、そんな懸念があった。どちらがより強いのか、雌雄を決するよりも、こうして政宗と少しでも共に居たい、という気持ちの方が、いつの間にか幸村の中で強くなっていた。今日もまた勝負が流れ、また政宗の顔を見られる口実が出来た事に、幸村は思わず安堵の溜息を吐いた。

「それじゃあな、真田幸村」

その声に幸村が慌てて振り返ると、政宗は既に帰り支度を整え、馬に跨ろうとしている。幸村は咄嗟に政宗の陣羽織を掴んで叫んだ。

「も、もう帰ってしまわれるのでござるか!?」

思いもよらぬ幸村の反応に驚いて、政宗は左目を瞠った。

「…Ha?何だよ、まだなにか用でもあるのか?」
「い、いや、別に、用は無いでござる…が…」

困惑したように口を噤む幸村の顔を眺め、政宗は不思議そうな顔をして腕組みをした。暫し後、政宗は徐に兜を外して馬の鞍の上に置いた。

「…まァ、折角ここまで足を運んだ事だし、たまにはアンタと二人で花でも見るってぇのも悪くはねぇか…」
そう言いかけて、政宗は軽く口許を上げ、言葉を続けた。
「アンタに、花を愛でるような情緒があれば、の話だけどな」

幸村は少し口を窄めて、精一杯の反論をした。
「…そ、某、そこまで戦馬鹿ではござらぬ!…た、確かに花の名などには少々疎い方ではござるが…」

政宗は小さい声でやっぱりな、と呟き、くっと笑った。そして幸村の後ろを指差して言った。
「見ろよ。その辺一帯に野生の菖蒲が咲いてるぜ。見事なモンだ」

「…あやめ?」

幸村が振り返って見ると、眼前に鮮やかな紫色の花が咲き誇っている。微風に花弁がゆらゆらと揺れ、なんともいえぬ美しい風情を醸し出している。幸村は思わず感嘆の声を上げた。
「おお、これは、何と見事な」

幸村は暫し目の前の風景に魅入っていたが、ふと顔を横に向けた。隣では政宗が同じように菖蒲の花を見つめていた。先程、刃を交えていた時とは全く別人のような、穏やかな横顔が目に入る。普段は見られない政宗の表情に、幸村は眼前の菖蒲よりも目を奪われていた。

「…どうした?」

幸村の視線に気付いた政宗が顔を上げた。不意に訊かれて大いに焦った幸村は動揺を隠しきれず、思わず顔を赤らめて顔を逸らした。

「あ、いや、な、何でもないでござる!」

その時、俄に強い風が幸村と政宗の頬を掠めていった。政宗の陣羽織がはたはたと翻った。

「…すげえ風だな」
政宗は顔にかかった髪を掻き上げながら、小さく息を吐いた。

「…あ!」

強風に煽られてはためいた幸村の赤い鉢巻が解けて、風に攫われた。幸村は咄嗟に手を伸ばして鉢巻を掴んだが、そのままよろりと蹌踉めいて、前につんのめった。運悪く、幸村の立っている場所はゆるやかな坂になっており、その下には小川が流れていた。

「…おい!」

政宗が慌てて幸村の腕を掴む。だが勢いのついている幸村と共に、そのまま政宗も坂を滑り落ちていった。

どぼん、と勢いよく水音がした。五月の川の水はまだ冷たく、幸村は軽く身震いし、頭をぶる、と振った。が、浅い川に転落した割には体が痛くない。体の下に何か、柔らかい感触がある。水草でも生えていたか、と幸村が思った時、

「…痛ってぇ…」

幸村の下から政宗の声がする。幸村が薄く目を開けると、政宗が仰向けになり幸村の下敷きになる形で水に浸かっている。

「まッ、政宗殿!!」

幸村は至極慌て、政宗の肩を掴んでゆさゆさと揺すぶった。
「だ、大丈夫でござるか!?ど、どこかお怪我はなさっておらぬか?」
政宗は顔を顰め、幸村を見上げながら言った。
「No problemだ。それよりも…俺の上からどいてくれねぇか」

そこで幸村は改めて今の状況を見直し、俄に赤面した。不可抗力とはいえ、政宗とこんなに密着したのは初めてで、心臓が大きく跳ねた。

「も、申し訳ござらぬ!!」

幸村はがばと体を起こして政宗の体の上から飛び降りた。政宗はゆっくりと立ち上がり、濡れた髪を撫で上げ、ふうと溜息を吐いた。
「…全く、随分と気の早ぇ水浴びをしちまったぜ」

「まこと、申し訳ござりませぬ…某のせいで…」
項垂れて詫びる幸村を見て、政宗は呆れたように笑った。
「…アンタ、存外抜けた所があるよなァ」
「返す言葉もござらぬ…」

言いながら幸村がふと顔を上げると、政宗が手を差し伸べている。幸村は吃驚して政宗の顔を見た。
「早く水から上がれよ。いくらアンタが丈夫だって、いつまでもこの冷たい水に浸かっていたら、流石に風邪をひくぜ」
「か、かたじけない…」
幸村はおずおずと、差し出された政宗の手を取った。政宗は腕に力を入れて幸村を引き上げた。

「冷てぇ…」
川から上がった政宗は徐に陣羽織と、中に着込んでいた甲冑を脱ぎ、その場にごろんと横たわった。

「ま、政宗殿!?」
「今日は陽気もいい。このまま暫くこうしてりゃ、その内乾くさ」
政宗は軽く微笑して、静かに目を閉じた。

「そ、そのような無防備な…。もし、某が寝首を掻いたりしたら…とはお考えにならぬのでござるか?」

幸村の言葉を聞いて、政宗は薄く左目を開け、幸村の顔を見た。
「…アンタにそのつもりがあるのか?」

「…ござらぬ!」
幸村は至って真剣な眼差しを政宗に返した。それを見て政宗はふっと笑った。
「…だろうな。なら別に構わないだろ」
「…この戦国の世で、一国の主がそのように他人を容易く信用しては、危のうござる…」
「俺だってそういつも易々と他人を信用する訳じゃねえ。…まァ、アンタだからな」

思いもよらぬ政宗の言葉に、幸村は目を瞠った。微かに頬が上気し、心臓の鼓動が速くなった。

「それはどういう…」

意味なのだろうか、と問うてみたが、政宗からの返事は無い。陽光に誘われて、優しい寝息を立て始めている。穏やかな寝顔を見ていると、胸がぎゅっと締め付けられるような気持ちに陥った。

いつからだろうか、このような不可解な感情に捕われるようになったのは。初めはただ、自分と対等の力を持つ好敵手を得られた事に喜び、ただ純粋に刃を交える事のみを待ち望んでいた筈なのに。いつの間にか、政宗の顔を見られる事が、言葉を交わす事が嬉しくて、別れる時は寂しくて、政宗の事を想う時は切なくてたまらなくなっている。

「政宗殿…」

幸村は微かに唇を動かし、声にならない声で呟いた。


−好きだ。


「…!!」

自分の発した言葉に自分でも動揺し、幸村は思わず口に手を当てた。俄に胸が高鳴る。政宗は全く気付かずに、風に髪を撫でられながら静かに眠りに落ちている。幸村は膝を抱え、遣る瀬無い気持ちを胸に、政宗の顔を見つめていた。



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「もう日暮れだな。急いで戻らねぇと、小十郎にどやされるな」

政宗が兜を身に付けながら呟いた。それを聞きつけ、幸村はすまなそうな表情をした。
「誠に申し訳ござらぬ…某のせいで、すっかりお引き留めしてしまって…」
「まァそんなに気にすンなよ。それじゃあな、真田幸村」

言うが早いか、馬に跨り、駆け出そうとする政宗に向かって、幸村は思わず声を掛けた。

「ま、政宗殿ッ!…そ、その…次はいつ、お会いできるでござろうか?」

政宗は馬上で腕組みをしながら、少し驚いたような表情で幸村を振り返った。

「あ、いや、その、ま、またお手合わせ願えたら、と…」

しどろもどろに言う幸村を見て、政宗は軽く口角を上げた。

「気が向いたらいつでも奥州に来いよ。待ってるぜ」

政宗は幸村に向かって左手を上げ、そのまま勢いよく馬を駆り、走り去って行った。後に残された幸村は暫しその場で、政宗の姿が見えなくなるまでずっと見送っていた。

「はーい旦那、あんまり遅いから迎えに来たよー」

いずこからともなく佐助が姿を現し、幸村に声を掛けた。だが幸村からの返事が無い。身じろぎせずに広野に立ち尽くしている主の姿を不思議に思い、佐助は幸村の傍に歩み寄り、顔を覗き込んでみた。

「だ、旦那!?どうしたの?」
「…え?」
「何泣いてんの?」

佐助に言われ、幸村は自分の顔に手を遣った。熱い涙がぽろぽろと頬を伝わり落ちている。

「…政宗殿…」

自分でも御する事のできない感情が、後から後から湧き上がってくる。幸村自身もまだ名前を知らない、この感情。他に術を知らぬ赤子のように、幸村はただ涙を流していた。そんな主の様子を見て、佐助は幸村の肩にそっと手を置いた。

「旦那、帰ろう。もう日が落ちる」

幸村はこくりと頷き、流れ落ちる涙を拭った。そしてその場に置かれていた朱槍を拾い上げ、ゆっくりと馬に跨った。一瞬、政宗の姿が消えた方向を見遣ったが、直ぐに前を向き、手綱を取った。

幸村の後ろ姿を見ながら、佐助は頭の後ろに手を組んで天を仰ぎ、ふうと息を吐いた。そして小さく心に願った。

−旦那の想いが、叶いますように。

戦しか知らなかった主の心に、初めて芽生えた感情。不器用で幼い幸村の気持ちを、少しでも政宗が受け止めてくれればいいと、老婆心ながらも思わず、願わずにはいられない。

幸村の姿は既に薄闇の中に消えていた。佐助も主の後を追い、その場から掻き消すように姿を消した。日暮れの広野には、咲き誇る菖蒲がただ静かに風にその身を揺らしていた。



2010/01/09 up

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