女の買い物というのは長いものだ、と思いながら、利家は大きく伸びをした。妻のまつに付き合って、ショッピングモールにやって来たが、まつは一軒のアパレルショップに入ってしまい、大分長い時間が経つというのにまだ出てこない。入り口の前で待っていた利家も、そろそろ身を持て余し始めた。
「…何かあったら携帯に連絡すればいいか…」
そう呟き、利家はぶらぶらとショッピングモールの中をうろつく事にした。何を見に行こうかと思ったその時、利家の腹の虫が威勢良く鳴き声を立てた。
「ああ−、そういえば腹、減ったなぁ…」
利家はエスカレーター脇のフロアガイドに目を遣った。地下一階にフードコートがある。その文字を眺めて利家は二、三度瞬きをし、子供のような笑みを浮かべた。
「ようし、何か食いにいくかぁー」
言うが早いか、利家は足早に下りエスカレーターに飛び乗った。
新しくできたばかりの大型ショッピングモールだけあって、フードコートも広くて、たくさんの店が所狭しと並んでいる。食べ物の種類も豊富でよりどりみどりだ。食い道楽、と言っても過言ではない利家にとっては、まさにこの場はワンダーランドだ。
「さあて、何にするかな…おや?」
食べ物を物色していた利家の目に、ふと見知った顔が映った。利家ははたと足を止めた。
「あれは…伊達と……真田…」
利家の目に留まったのは、テーブルを挟んで座り、楽しげに談笑する政宗と幸村の姿だった。なんとなく後ろめたいような気持ちになって、利家は目を逸らした。
「いかんいかん、いくら生徒とはいえ、プライバシーがあるだろう。覗きみたいな真似をしては…」
そう言いつつも、二人の関係を知っている利家としては、どうしても様子が気になってしまう。利家は暫し、その場を右往左往していたが、植木の陰に身を隠し、こっそりと二人の方を覗き込もうとした。その時。
「犬千代様!何をしておいでですか!?」
「うわあっ!!」
突然、背中から声を掛けられて、利家は飛び上がらんばかりに驚いた。はたと振り返ると、まつが腰に手を当てて仁王立ちになっている。
「突然居なくなって、心配して探してみれば、このような所でこそこそと…。まさか、他所の女性を覗き見ていたのではないでしょうね?」
「ごっ、誤解だ、まつ!」
利家は至極慌てて、その場を取り繕おうとした。とりあえず、政宗と幸村の居る場所からまつを遠ざけねば、と思い、まつの肩を抱いて、この場から離れようとした。が、まつは訝しげな顔をし、利家の顔をじろりと見上げた。
「…何を隠しておいでです?」
「なっ、何も隠してなどいないぞ、まつ!と、とりあえず、他の場所へ行こう、なッ」
利家は引き攣った笑顔を作り、まつを促したが、まつは利家の横を擦り抜けて、植木の隙間から、その向こうに居る人物が誰なのか確かめようと覗き込んだ。
「あれは…二年の真田君と、OBの伊達君ではありませんか?」
利家と同じく、政宗と幸村の高校の教師をやっているまつは、勿論二人の顔を知っていた。二人を確かめ、まつは更に怪訝そうな表情で利家の方に向き直った。
「…犬千代様は伊達君の元担任ではありませんか。何をこそこそと覗いておられたのです?堂々と声をお掛けになればよろしいではありませんか」
まつに詰め寄られて利家はしどろもどろになった。
「い、いやその、二人の邪魔をしてはいかんと思って…あ、いやその、別に深い意味はなくてだな…」
不自然に顔を紅潮させ、目を泳がせる利家の様子を不審に思い、まつは二人の方にもう一度目を遣った。
幸村は大きなワッフルコーンに入ったアイスクリームを手に持ち、無邪気な笑顔でそれを口に運んでいた。政宗はコーヒーを片手に、そんな幸村の様子を眺めながら、静かな笑顔を見せていた。こうして見る分には、取り立てて変わった所のない、普通の仲の良い友達同士、といった感じだ。利家が焦る理由が分からず、まつは小さく首を傾げた。すると。
「Hey、付いてるぜ」
くっと可笑しそうに笑いながら、政宗が幸村の唇の横を指差した。
「えっ?」
幸村は慌てて、自分の口の横を人差し指でなぞった。指先に、溶けて液体となったバニラアイスが付着した。
「あ…」
「…ッたく、子供みてぇだな」
政宗は目を細めながら、徐に幸村の手を掴み、バニラアイスの付いた指を自分の口に入れて、軽く舐めた。途端に、幸村の頬が真っ赤に染まった。
「まっ…政宗先輩!?」
「…甘!よくこんな甘いモン、そんなに大量に食えるよなァ」
政宗は軽く顔を顰め、甘さを消すためにコーヒーを口に含んだ。そして、恥じらう幸村の方に視線を遣り、カップを差し出した。
「飲むか?」
「い…いえ、俺、ブラックコーヒーは苦手なんで…」
政宗は顎に手を遣り、ふうん、と小さく呟いたが、にやりと口許を上げた。
「なら…少しだけ、お裾分けしてやるよ」
そして、すっと幸村の顔に手を伸ばして自分の方にぐいと引き寄せた。あとほんの十センチほどで唇が触れ合う、という距離に顔が近付いたところで、幸村が慌てて叫び声を上げた。
「う…うわぁ政宗先輩!ちょっ………ダメですこんな所でッ!!」
幸村は咄嗟に両手で自分の顔を覆った。焦りに焦って半ばパニック状態に陥り、顔を隠している手まで赤い。余りにも期待を裏切らない反応に、政宗は思わず、身を震わせてくっくっと笑った。
「馬鹿。Jokeに決まってンだろ」
左目を眇め、薄く涙すら浮かべて笑う政宗の様子を見て、幸村は眉を寄せ、口を尖らせて抗議した。
「…からかったんですね!」
ぷうと膨らんだ幸村の頬を人差し指で軽く突き、政宗はふっと笑いながら言った。
「Sorry…怒るなよ。お前がいつまでたってもンな可愛い反応するからつい、な」
そして、頬に触れた指を、軽く窄められた幸村の唇に移し、ついとなぞった。
「お楽しみは…二人っきりの時に、な」
艶っぽく笑う政宗の顔を見、幸村は更に顔を上気させた。ふいと視線を横に逸らせて、声にならない微かな声で先輩のばか、と呟いた。政宗はそんな幸村の様子を嬉しそうに眺めている。幸村も、政宗には敵わない、というような表情で、小さく笑った。
二人の姿をずっと見ていたまつは、最初は呆気に取られたような顔をしていたが、やがてくるりと利家の方に向き直った。
「…犬千代様」
「な、なんだ、まつ?」
まつは利家の背中に手をかけ、小首を傾げて利家を見上げて軽く微笑んだ。
「…行きましょう。これ以上ここに居るのは、野暮ですわ」
そう言うとまつは、おろおろしている利家を後目に、すたすたとその場から歩き出した。
「ま…待ってくれぇ、まつ!」
利家も慌ててまつの後を追いかけた。そしてまつの顔を覗き込み、わたわたと手を振りながら言葉を出した。
「ま、まつは、その…驚かないのか? あいつらは、その…」
まつは目を瞠って、困惑する利家の顔を見た。そしてそのまま、暫し黙って利家の顔を眺めていたが、やがて柔らかい微笑みを向けた。
「こういう事は、本人達の問題でしょう?」
問わずとも、あの二人の様子を見れば、互いの気持ちは一目瞭然。政宗は幸村を、幸村は政宗を、どれほど大切に想っているかが、ひしと伝わってくる。まつも利家に対して同じような気持ちを抱いているからこそ、よく分かる。
「…この先、あの二人にどんな事があろうとも、それは二人が解決してゆく事ですわ。私達がとやかく口を出す事ではございません。それに…」
戸惑いを宿す利家の顔を見、まつは悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「昔から言いますでしょう? “他人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んでしまえ”、と。…犬千代様、ご心配なさらずとも、あの二人なら大丈夫ですわ、きっと」
まつは口に手を当て、ふふっ、と笑った。そして利家の腕に自分の手を搦め、帰りましょう、と促した。利家は天井を仰ぎながら、そんなものなのだろうか、と思い、小さく息を吐きながら口の中で呟いた。
「女は…やはり強いなぁ」
利家は立ち去り際に今一度、政宗と幸村の方を振り返った。二人は席を立ち、仲睦まじく身を寄せ合って、人々の喧噪の中へと消えて行った。
女は強し(笑)。
月寒江清