「あー…」
からりと晴れ上がった七月の青空の下、ベランダに置かれた白いプランターを目の前にして、幸村は肩を落として大きな溜息を吐いた。意気消沈した声を聞きつけ、政宗は読んでいた新聞から顔を上げ、ゆっくりとソファから立ち上がった。
「ン?どうした?」
政宗はベランダに出て、プランターの前にしゃがみ込んでいる幸村に声を掛けた。幸村はちら、と振り返り、気落ちした表情を政宗に向け、プランターを指差した。
「これ…」
幸村の指先には、赤い実を沢山つけたトマトの木がある。春先に幸村が苗を植え、せっせと育てていたものだ。どちらかといえば大雑把な性格の幸村にしては珍しく、支柱を立てたり、肥料をやったりと、甲斐甲斐しく世話をして、実が生るのを毎日楽しみにしていた。それがようやく収穫の時期を迎え、たわわに実っている。何の問題があるのかと、政宗は少々怪訝そうな顔をした。
「実、生ってるじゃねぇか」
「よく見て下され…」
促されて政宗は幸村の隣に腰を下ろした。顔を寄せてよくよくトマトを眺めてみれば、どれも実が破れている。
「割れてしまったでござる…」
「Ah…水が多かったんだな…昨日の晩、大雨が降っただろ」
夜中の降雨のせいで、急激に大量の水を吸ったトマトの実は破裂してしまったようだ。綺麗な赤い実に裂け目が入り、ぱくりと口を開けている。幸村はそれを指でなぞりながら、伏し目がちにもう一つ大きな溜息を吐いた。
「せっかくここまで育ったのに…」
「残念だけど…まぁ仕方ねぇな。初めてにしちゃ、よくやったぜ、アンタ」
政宗は項垂れる幸村の頭に手を乗せ、髪をくしゃりと掻き混ぜた。幸村はちょっと首を竦めながら、ついと手を伸ばし、割れたトマトの実を一つもぎ取ってじっと眺めた。
「アンタ、意外と諦め悪ィな」
政宗が呆れたように軽く笑った。幸村は少しむっとしたように口を窄め、政宗の肩にことんと頭をもたれかけた。
「…政宗殿に美味しいトマトを食べさせてあげたかったのでござる」
「俺に?」
政宗は視線を落とし、幸村の手の中のトマトを見詰めた。割れてはいるが、完熟したその身は真っ赤に染まり、太陽や土の養分を吸い込んで綺麗な光沢を放っている。政宗は暫し考えた後、幸村の手からひょいとトマトを取り、徐に一口、口に含んだ。
「ン、甘い。…よく熟してるな」
政宗は小さく頷いて、つと身を前に起こし、他のトマトをもぎ始めた。
「…政宗殿?」
「捨てちまうのは勿体ねぇだろ。裂けた所だけ取り除きゃ使えるぜ。これでトマトソース作ってやるよ」
「…!成る程、そういう使い方もあるのでござるな!」
政宗の手の中のトマトを見、幸村の顔がぱっと明るくなった。些細な事で曇り、また、些細な事で晴れる幸村の表情は、単純で、だがそこが可愛くもある。政宗は思わず喉の奥でくっと笑った。
「では早速トマトソースを作るでござる!某も手伝うでござ…わっ!」
嬉しそうにはしゃぐ幸村の口許に、政宗が熟れたトマトの実を押し当てた。吃驚して咄嗟に目を閉じた幸村の顔を見て、政宗はすっと手を引っ込め、代わりにそっと唇を近寄せた。
「ん…」
触れた幸村の唇から、甘やかな吐息が漏れた。耳朶がほんのりと赤く染まって熱を帯びている。政宗は満足げに目を眇め、上気した幸村の頬を撫でた。
「…トマトみてぇだな」
「ま、政宗殿が突然、不埒な真似をされるから…!」
顔を赤らめ、口を尖らせて小さく抗議する幸村を眺めながら、政宗はさも嬉しそうに笑った。そして、もいだトマトを幸村の掌に乗せ、するりと腰に手を回して身体を引き寄せた。
「俺に美味いトマトを食べさせたかったんだろ?なら…」
言い終わらぬうちに、幸村が手に持ったトマトを政宗の口にぎゅっと押しつけ、後の言葉を遮った。
「政宗殿の行動パターンはもうお見通しでござるよ!」
幸村は、してやったりというような悪戯っぽい表情で、小さく舌を出してみせた。
「…さっきの仕返しかよ?」
政宗は眉を顰めて、ちょっと不機嫌そうに口を窄めた。政宗の拗ねたような顔を見て幸村はくすりと笑い、政宗の肩に手を掛けて、つと背伸びをした。
「ゆき…」
驚いて目を瞠った政宗の鼻先を、幸村の前髪が擽り、ふわりと日向の匂いがした。そしてゆっくりと、幸村の瑞々しく柔らかい唇が政宗の唇に重なった。もう幾度となく合わせた唇だが、幸村の方から触れてくるのは初めてで、どこかぎこちなく、微かに震えて幸村の緊張が伝わってくる。政宗は幸村の髪に指を絡ませながら、静かに左目を閉じた。
風に流された薄雲が初夏の太陽を隠し、一瞬だけ陽を翳らせたが、またすぐに照りつけるような日差しが戻ってきた。遠くの方から蝉の鳴く声が聞こえてくる。政宗はぼんやりと夏の訪れを感じながら、深く幸村の唇を追った。
「政宗…殿…」
重ね合った唇の下から幸村が小さく政宗の名を呼ぶ。政宗はそっと幸村の唇を舌でなぞり、微かに笑って呟いた。
「…アンタの方が、甘いな」
幸村はトマトみたいな子だなと思って(笑)。
月寒江清