H-01. 夕凪

Transistor glamour の、いさな ないと様とのコラボSSです。
「昭和の貧乏ダテサナ」をテーマに「神田川」テイストで書きました(笑)

★Written by
<Prologue>…しじま
<Main Chapter>…ないと様 (R-18)
<Epilogue>…しじま



<Prologue>…しじま



川向こうの工場から、夕方の五時を告げる甲高いサイレンの音が流れてくる。幸村は台所で、素麺の束を解し、沸騰した鍋にぱらぱらと落とし入れた。固く真っ直ぐな麺は鍋に吸い込まれ、白糸のようにくにゃりと曲がって、湯の中で踊るように揺らめいている。暫しその様を見つめた後、幸村はガスの火を止め、ぽつりと呟いた。

「…暑いなぁ」

流しに置いた笊の中に、茹だった素麺を流し入れる。熱い湯をかけたせいで、ステンレスがべこりと音を立てた。幸村は軽く眉をしかめ、水道の蛇口をひねって、素麺を流水にさらした。

(これでよし、と)

幸村は流し台の上に笊を置き、一つ息を吐くと、ゆっくりと茶の間の窓の方に足を向けた。

真夏の盛り。夕方とはいえ、部屋の中にはまだ昼間の熱気が籠もっている。火の傍にいたせいもあり、幸村の額からは多量の汗が吹き出していた。むっとした空気に耐えかねて、幸村は扇風機に手を伸ばし、「弱」のボタンを押した。古びた扇風機はからからと音を立てて回り出し、涼やかな風を送り始めた。

「…ふぅ」

扇風機の前に座った幸村は、真正面から顔に風を当てた。幸村の首筋から伸びる一房の長い髪が、柔らかい風になびき、波のようにゆらゆらと上下する。

(…着替えた方がいいかな)

幸村は汗でしとどに濡れたTシャツに手をかけ、それを脱ごうとした。が、すぐに思いとどまる。

(風呂に入ってからの方がいいか…)

しっとりと濡れたTシャツは身体にべとりと張り付いて心地が悪い。だが、夕飯の支度を再開すればどうせまた汗を掻く。洗濯物が増えるのもなんだし、と思い、幸村はゆっくりと手を下ろした。網戸越し、窓の外からは夕日が射し込み、部屋の中を茜色に染め上げている。

(…そろそろかな)

思った瞬間、アパートの外からかんかんと、鈍い金属音が聞こえてくる。鉄製の階段を上る音だ。幸村はぱっと立ち上がり、玄関に走っていくと、がちゃりと鍵をひねって勢い良くドアを開けた。

「おかえり!」

幸村が満面の笑みで叫ぶ。ドアノブに手を掛けようとした瞬間にドアが開いたので、政宗は少々戸惑ったような顔で一瞬立ち竦み、やれやれというように苦笑いした。

「…ただいま」
「夕飯、できてるよ」
「また、素麺だろ。アンタの得意な」

軽く揶揄するような政宗の言葉に幸村は眉を寄せ、小さく口を窄めた。

「…そうだけど」

一緒に暮らし始めてもうだいぶ経つが、不器用な幸村のこと、いつまで経っても料理が上達する気配が無い。米を炊く事すらままならず、炊飯器を焦がしてしまった事もあった。できる事といえばせいぜい素麺を湯がくことくらいである。

「…ごめん」
「いいって、気にすンな。それより喉が渇いた」

政宗は幸村の頭に手を乗せ、髪をくしゃりとかき混ぜた。幸村が一生懸命やっていることは、政宗には良く分かっている。一日働いて疲れて帰ってくる政宗の為に、食事の用意をしたいという幸村のいじらしさ。政宗にはそれが嬉しかった。

靴を脱いで部屋に上がった政宗は、すぐさま扇風機の前に胡座をかき、首に掛けていたタオルで額の汗を拭った。

「Ah、暑っちィ…」
「うん、暑いね」

幸村は冷蔵庫のドアを開け、瓶のビールと、作り置きの麦茶を取り出して、コップと共に盆に乗せて茶の間へ運んだ。そしてそれを、卓袱台の上に置き、コップを政宗に手渡して、ぽん、とビールの栓を抜いた。

「お疲れさま」
「Ah、Thank you」

琥珀色の液体がコップに注がれ、ふつふつと白い泡が立った。政宗はそれを喉に流し込んで潤し、改めて一息吐いた。

「アンタは…相変わらず麦茶か」
「うん…ビールはちょっと…」
「嫌いか?」
「…苦いだろ」

幸村の黒目がちな大きな瞳がゆらゆらと政宗の顔を覗いている。政宗は鼻先でふっと笑って、ビールをもう一口、口に含んだ。

「美味いのになァ」

言いながら、つと幸村の方にコップを差し出す。幸村は大きく首を左右に振った。

「いらない」
「一口くらい、付き合えよ」

幸村はちょっと俯いて、拗ねたように口を尖らせた。

「飲めないって知ってるくせに」

政宗は喉奥でくっと笑い、コップを卓袱台の上に置くと、おもむろに身を乗りだして幸村を引き寄せた。

「ぅわっ!」

いきなり腕を引っ張られ、幸村は勢い良く前につんのめった。どさりという音と共に、そのまま政宗の腕の中に身を預ける形になり、幸村はおおいに焦った。

「ちょっ…何するんだよ、いきなり!?」
「ン…お裾分け」

政宗は軽く口角を上げると、幸村の顎を掴んで持ち上げ、そっと唇を重ね合わせた。いつ触れても柔らかい幸村の唇を、政宗はゆっくり、そして深く追った。

「ん…」

幸村が鼻にかかった甘い声を漏らす。背中に回された幸村の両腕に、やおら力がこもったのを感じた政宗は、僅かに唇をずらして小さく息を継ぎ、再び合わせる。ひたりと重ね合った身体から、幸村の鼓動が大きく響いてきた。

「…舌」

政宗が小さく命じるように囁く。幸村は荒くなった吐息の下、潤んだ瞳で、何か言いたげに政宗を見たが、そっと瞳を閉じ、おずおずと舌を差し出した。西日に照らされたせいだけではなく、紅に染まった幸村の頬を両手で包み、政宗はその舌に自分の舌を絡ませ、強く吐息を吸い取った。

壁に掛けられた振り子の時計が、こちこちと時を刻んでいる。開け放たれた窓の外からは、まだ昼間の暑さを含んだ生温い風がそっと吹き込んできて、レースのカーテンをゆらゆらと揺らした。どこからともなく、学校帰りの子供達のはしゃぐ声が聞こえてくる。豆腐屋がラッパを鳴らしながら窓の下を通り過ぎてゆき、軋んだ自転車の音を耳にした幸村は、遠くに流されかけていた意識を呼び戻し、薄く目を開けた。

「…政宗」
「…何だ?」
「…まだ、明るいんだけど」
「それがどうした」

幸村が何を言いたいのかを重々承知しながら、政宗は平然と答え、再び口を塞ぐ。

「…んん」

合わせられた唇の下から、幸村が小さく抗議するように声を上げた。政宗はちょっと眉間に皺を寄せ、その声を遮るように、ゆっくりと幸村の身体を床に倒した。

「ちょ…」

慌てて身を捩る幸村の腹を左手で押さえつけ、政宗は右手をするりと幸村の下腹部へ滑り込ませた。幸村の身体がびくりと跳ね、吐息が荒く早くなる。政宗は軽く目を眇め、口角を上げた。そしてそのまま幸村の耳元に顔を近寄せ、舌先で耳朶をぺろりと舐めた。

「ま…さむ…ね…!」
「ン?言いたい事があるなら言ってみな」

政宗はさも楽しげに、幸村の耳朶を甘噛みしながら囁いた。その間にも右手は幸村の下腹部を慣れたように包み込む。幸村は荒げた息の下、頬を赤く染めながら呟いた。

「…暑い…」
「ン、暑いな」

政宗は小さく頷きながら、少し上体を起こして扇風機に手を伸ばし、「強」のボタンを押した。羽が勢いよく回り出し、強まった風が政宗と幸村の髪を靡かせる。

「これでいいだろ」

政宗は再び、幸村の身体の上に己の身を重ねた。幸村はちらりと台所の方に目を遣り、口を窄めた。

「…素麺、のびちゃうよ…」
「後で食う」

何を言っても無駄だと悟り、幸村は半ば諦めたような表情でふう、と溜息を吐いた。そして、徐に瞼を閉じ、両の腕をそっと政宗の背に回した。政宗は満足げに微笑して、己の熱に身を任せ始めた。


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2010/08/17 up