E-04. 携帯小話

「それじゃ、明日のことは後で打ち合わせよう。今夜…そうだな、八時過ぎごろにでも電話するよ」

慶次はそう言い残し、政宗に手を振ると、鞄を肩にかけて、勢いよく教室を飛び出して行った。二人の会話に耳をそばだてていた幸村は、人知れずこっそりと溜息を吐いた。明日は土曜日、学校も休みなので、慶次と政宗は二人でどこかに出かけるらしい。幸村にはそれも羨ましいが、溜息の原因はまた別のところにある。

(電話するよ、か)

幸村は徐に鞄の中から自分の携帯を取り出して、暫し眺めた。
高校に入学してから早二ヶ月が経ち、新しい友人もたくさんできて、幸村の携帯のアドレス帳の登録は一気に増えた。真っ先に、ケータイ番号とメアド教えてよ、と言ってきたのは、誰にでも分け隔て無く親しげな前田慶次。慶次のアドレス帳には既に、クラスメイト全員の携帯番号とメアドが登録されているらしい。勿論、政宗の番号も。

(俺には…できないな)

頭を小さく左右に振り、幸村は携帯のアドレス帳の『た』の項を開いた。
高橋、立川、田所…『た』で始まる名字が並んでいるが、『伊達』の名前は入っていない。

「どうしたの、穴が開くほど携帯見つめちゃって」
「わっ」

ふいに背後から佐助に声をかけられて、幸村は慌てて携帯を閉じた。

「な、なんでもない!」
「ふーん、そう?」

幸村は努めて平静を装ったが、どこかぎこちなく、焦って佐助から目を逸らした。不自然な様子に、佐助は小首を傾げながら、くるりと教室の中を見渡した。クラスメイトの殆どは下校したか部活にでているようで、教室内に残っている者は数人しかいなかった。その中に政宗もおり、自分の席に座って、元親と楽しげに話をしている。佐助はその姿を見ながら顎をひと撫でし、視線を元に戻すと、幸村が自分の携帯と政宗を交互に眺めながら、またしても深い溜息を吐いている。

(やれやれ…)

呆れたように肩を竦め、佐助はぼそりと呟いた。

「素直に、番号教えて、って言えばいいのにねえ」
「…なにか言ったか」
「いーえ、なにも」

小声で言ったつもりだったが、聞こえたらしい。幸村はむっとしたように口を窄め、眉間に皺を寄せて佐助をじろりと睨んだが、佐助はしれっと会話をはぐらかし、頭の後ろで両手を組んで、軽く伸びをした。

「旦那、まだ帰らないの?」
「ああ、部活のことで顧問の先生に呼ばれているから、ちょっと職員室に行ってくる。先に帰っていていいぞ」

幸村は右手を上げて軽く合図をすると、くるりと踵を返し、教室を出ていった。言われたとおり先に帰るか、それとも幸村が戻るのを待つか、少し考えていた佐助は、ふと幸村の机の上で目を留めた。携帯が無造作に置きっぱなしになっている。

(…まったくもう…ちょっと抜けたところがあるんだよねえ、あのひと…)

佐助は幸村の携帯をとりあげ、鞄の中に仕舞ってやろうとして、ふと手を止めた。ちらりと横目で政宗の方を見ると、まだ元親と話しこんでいる。内容は聞こえてこないが、相当、話に花が咲いているようだ。

(…)

佐助は人差し指でこめかみをとん、とんと叩くと、何か思いついたように一人、小さく頷いた。





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(すっかり遅くなってしまったな…)

ようやく用事を済ませ、幸村が戻ってきたときには、皆すでに下校した後だった。空になった教室は、人がいる時の喧噪を感じさせないほど静まりかえり、どこか物寂しい。幸村は鞄を肩に掛け、柔らかな西日の差し込む教室を後にした。陽が沈みきる前に家に着きたいと、歩調を自然と早める。人気のない廊下を通り過ぎ、下駄箱で手早く靴を履き替えると、夕暮れの風舞う校庭を小走りに突っ切った。

(…そうだ、佐助に電話を入れておかないと)

校門を出たところで立ち止まり、夕飯の支度をしているであろう佐助に、今から帰るという連絡をしようと、幸村は鞄の中をまさぐった。指先に触れたごつりと角張った小さい機械の感触を確かめ、それを取り出すと、思いもかけないことに至極、驚いた。

「!?…これは?」

幸村の携帯は、ショップで見かけて一目で気に入ったメタリックレッドのものである。男なのに赤?と佐助に苦笑いされたが、使いやすいし手にも馴染んだので、これでいいのだ、とちょっとむくれ気味に答えると、旦那らしいや、と、三色団子のストラップをくれた。それこそ、男なのにこんな可愛らしいストラップはどうかと思ったが、折角なので携帯に結びつけた。以来、ストラップ共々、幸村はその携帯を愛用してきた。
しかし今、幸村の手の中にあるのは、己のものではない、深いインディゴブルーの携帯。極々シンプルなデザインで、ストラップはおろか、何の飾りもついていない。

「こ、これは一体、誰の…? そもそもなぜ、俺の鞄の中に?」

幸村は焦り、自分の携帯を探そうと、再び鞄の中に手を入れた。教科書やノートの間をさぐってみるが、それらしい物が見当たらない。

「…誰かが俺の携帯と間違えて、持って帰ってしまったのか…?」

幸村は暫し、持ち主の分からぬ携帯を見詰めて考えた。同じ色ならばともかく、ここまで色の違う携帯を取り違えるとは考えにくい。とすれば、なにかの拍子に誤って入れ違いになってしまった可能性が高い。恐らく、この携帯の持ち主も今頃、幸村の携帯を見て驚いていることだろう。

(多分、取り違えの相手は同じクラスの者だろうが…)

明日が平日ならば、このまま家に持ち帰ってもさほどの問題はないだろう。しかし、明日は土曜日、相手になにか特別な予定が入っているとしたら、連絡を取る手段がなくては困るに違いない。

(一体、どうしたらよいのか…)

幸村は携帯を眺め、暫し途方に暮れた。メタリックブルーのボディが光を反射して、眉尻を下げた幸村の表情を映し出している。
と、手の中の携帯が突然、ぶるぶる、と振動し始めた。

「わっ」

着信を告げる淡い水色のLEDが点滅を繰り返す。どうやらメールではないようだ。

「ど、どうすればよいのだ…?」

幸村は困り果て、助けを求めるように忙しなくきょろきょろと目を泳がせた。その間も、携帯は低く唸り続けている。他人のプライバシーを覗き見するような真似は、幸村の信条に反する。だがこの際は仕方がないと、額に汗をじっとり滲ませて、意を決したように携帯を開いた。

「…御免!!」

開くとともにバックライトが点いて明るくなったディスプレイには、発信者の番号が表示されている。この携帯には登録されていない番号のようで、名前が出ていないが、それを見て幸村はふと首を傾げた。

「この番号、どこかで………あっ!」

気付いて幸村は思わず声を上げた。そこに表れているのは、まぎれもない自分の携帯番号だったからだ。

「お、俺の番号…?」

幸村は慌て、咄嗟に通話キーを押した。と同時に、急き立てるようにわなないていた携帯の振動がぴたりと止んだ。

「も、もしもし…?」

こわごわ言ったあと、幸村は携帯を耳に押し当て、息を呑んで相手からの返事を待った。
暫しの沈黙が流れたあと、聞き覚えのある低い声が、幸村の鼓膜に届いてきた。

「…やっぱりアンタか」
「………え!?」

幸村は一瞬、我が耳を疑い、まさかと思いながらも、おそるおそる聞き返してみた。

「ま、政宗殿‥で、ござるか?」
「そうだ。…どういう訳だか知らねぇが、俺の鞄の中にアンタの携帯が入ってたんでな」
「えっ…? な、なぜ某の携帯だと分かったのでござるか?」
「真っ赤なBody colorに六文銭のシール、それに、こんなFancyな団子のストラップをつけてるような携帯、アンタのしか考えられないだろ」

少し揶揄するような物言いに、幸村は軽く眉を顰めた。だがすぐに、ふとした疑問が浮かび、寄せた眉間を和らげて、政宗に訊ねた。

「な、なぜこの携帯の番号が分かったのでござるか?」

僅かの間が空いた。どうやら政宗は人の多いところにいるようで、通話口の向こうから微かなざわめきが聞こえてくる。暫し後、政宗が小さく溜息を吐いたのが聞き取れた。

「…それは俺の携帯だからな。自分の携帯番号くらい、空で覚えてるだろ。アンタの携帯を俺が持ってるってことは、俺の携帯をアンタが持ってるだろうと思って、かけてみたんだ。…そのくらい、自分の頭で考えてみろ」
「あ…そ、そうか…」

政宗に指摘され、幸村は肩を落とした。少し考えれば、すぐに分かりそうなことである。思慮が浅いのは幸村の悪いところだと、佐助にも信玄にも叱咤されることが多い。

「…まァ、そんなところもアンタらしいっちゃ、らしいけどな。…それよりも、俺は今日、携帯がないと困るんだがな」
「あ、そ、そうでござるな! 急いで交換せねば…。政宗殿は今、いずこに?」
「電車に乗る前に気付いたんでな。駅の改札の前に居る」
「分かり申した。今からすぐにそちらに向かうでござる!」
「OK。待ってるぜ」

政宗は短く淡々と要点を告げ、通話は切れた。幸村は携帯を閉じ、鞄の中にしまうと、俄に走り出した。幸村の足ならば、急げば駅まで五分ほどで着く。夕方の買い物客で賑わい始めた大通りを勢い駆け抜けると、政宗の待つ駅の入り口が見えた。帰宅ラッシュが始まったところで、スーツ姿のサラリーマンやOLたちが、みな足早に改札へと吸い込まれてゆく。

(政宗殿は、いずこに…)

幸村はきょろきょろと忙しなく首を動かし、政宗の姿を探した。
ぐるりと駅の中を一周、見回したところで、幸村の瞳に見慣れた学生服姿の男子高生が映った。

「政宗殿ーーー!!」

幸村は大きく手を振ると、政宗のところへと急いだ。

「お待たせして申し訳ござらぬ!」

色鮮やかなファッションビルの広告ポスターが貼ってある大きな柱に体をもたれかけていた政宗は、幸村の姿を認めると、やや渋い顔をした。

「…別にいいが、アンタ、恥ずかしくねえのかよ?」
「なにがでござるか?」
「あんな往来ででけえ声張り上げた上に、派手なGestureしやがって…ガキじゃあるまいし」
「…?」

きょとんとした幸村の顔を見て、政宗はやれやれというように肩を竦めた。

「まァいい。とりあえずこれ、返すぜ」

政宗はポケットの中から赤い携帯を取り出し、幸村の目の前に差し出した。ぶら下がっている白、緑、ピンクの三色団子の小さなストラップがゆらゆら揺れた。

「おお…紛れもなく某の携帯でござる。…しかしなぜ、政宗殿の鞄に入ったのでござろう?」
「…さァな。何かの弾みで入れ替わったのかもしれねぇし。…で、俺の携帯は?」
「あ、ここに…」

幸村は鞄に手を入れて、青い携帯を出した。受け取ろうと政宗がすっと手を差し伸べる。手渡そうとして、掌の上に乗せる直前で、幸村は躊躇い、そのまま動きを止めた。

「…? オイ、どうしたんだよ?」
「え、いや、その…」

幸村は政宗の携帯を握り締めたまま、俯いて目線を下げた。ふつりと胸の中に沸いた言葉を出そうか出すまいか迷って、ごくりと唾を飲む。ちらりと上を見ると、政宗が怪訝そうな表情で幸村を見下ろしているのが目に入り、焦って再び下を向いた。

「オイ、真田?」

名前を呼ばれて幸村は、おずおずと顔を上げた。二人の横を、大勢の人が急ぎ足で通り過ぎてゆく。明日が休日ということもあり、駅前の繁華街はいつもに増して賑わいをみせていた。居酒屋の呼び込みバイトの男性が、通りすがる人に声をかけている。その様子をちらと一瞥し、政宗は幸村の顔に左目を戻した。視線を注がれて幸村は思わず身を固くした。

「あ、あの、政宗殿‥」

緊張で喉がひりついた。心臓がばくばくと跳ねる。しかしこんなチャンスはもう無いかもしれないと、幸村は思い切って言葉を絞り出した。

「そ、某に…携帯番号を教えてはいただけませぬか!」

自分でも驚くほどの大きな声が出て、幸村は思わず両手で口を塞いだ。通りがかった女性が幸村のほうを見てくすりと笑って去っていった。

「い、いや、その…嫌だったら…別に…よいのでござる…が…」

思いがけぬ言葉に政宗は一瞬、目を瞠ったが、羞恥で顔を真っ赤にしてもごもごと口籠もる幸村の顔を見て、鼻先でふっと微かに笑った。そして幸村の手をぐいと引き寄せると、その掌に、持っていた赤い携帯を握らせた。

「ほらよ」
「え…」

携帯を返され、やはり無理な頼みだったかと、落胆して肩を落としかけた幸村に向かって、政宗が言った。

「発信履歴が残ってるだろ。それ、登録しとけ」
「…えっ!?」

驚いて目を丸くする幸村のもう片方の手の中から、青い携帯をするっと取ると、政宗はそれをぱくんと開いて手早くキーを操作した。そしてディスプレイを幸村の方に向けてみせた。

「アンタの番号、登録しておいたぜ」

液晶画面には、幸村の名前と携帯番号が淡く浮かび上がっている。画面を覗き込み、ぽかんと口を開けたままの幸村を尻目に、政宗は携帯を閉じ、鞄の中に無造作に放り込んだ。

「じゃあな」

短く言うと、政宗は胸のポケットからICカードを取り出して、踵を返して歩き出し、そのまま改札を抜けていった。一人残された幸村は暫し呆けたように立ち尽くしていたが、はたと携帯を取り上げ、あたふたと操作し始めた。発信履歴を出し、興奮で震える指先で、一文字ずつ確かめるように、だてまさむね、と打ち込み、登録ボタンを押した。

(で、できた…!)

思わず綻びそうになる口許をきゅっと引き締めながら、アドレス帳の「た」の項を開く。

『伊達 政宗』

表示された名前と番号を見て、幸村は破顔し、携帯を胸元でぎゅっと握り締めた。ずっと知りたくて訊きたくて、訊けなかった政宗の番号が、間違いなく幸村のアドレス帳に収まっていると思うと、飛び上がりたいほどの嬉しさが込み上げた。同じクラスになって、二言三言の会話を交わすことはあっても、それ以上、なかなか縮められなかった政宗との距離が、ようやく少し縮まったような気がして、幸村は小さく歓喜の溜息を漏らした。

ふと顔を上げると、辺りは既に日の光を失い、空には青月が浮かんでいる。すっかり遅くなってしまったことに気付き、幸村は慌てて携帯を開くと、佐助の番号を呼び出した。数回のコール音の後、聞き慣れた佐助の声がした。

「もしもし、旦那? ずいぶん遅いじゃない、どうしたの」
「ああ、すまぬ、佐助。ちょっと訳あって、いま駅前におるのだ。これから帰るから」
「駅前? うちと反対方向じゃない。何かあったの?」
「え…いや、ああ、その…た、大したことじゃない」

佐助に問われて幸村は慌てて誤魔化した。しかし内心の動揺が表れたようで、やや声がうわずった。それを隠すように一つごほんと咳払いをすると、いつもよりも早口で、すぐに帰る、とだけ言い、そのままぷつりと通話を切った。

「旦…あーもう、さっさと切っちゃうんだから…」

通話終了、と表示された画面を見、佐助はやれやれというように肩を竦めた。カモフラージュのケースに収められたスマートフォンをテーブルの上に置くと、再び夕食の支度に取りかかった。

(駅前…。確か、伊達の旦那は、電車を使ってたよね)

鍋の中の煮物に醤油をひと垂らしし、菜箸で軽く掻き混ぜると、柔らかな湯気がふわりと立ち、食欲をそそる香りが鼻腔をくすぐっていった。白い靄のなか、佐助の脳裏に、教室での出来事が思い出される。
佐助が幸村の携帯をそっと政宗の鞄に入れたとき、偶然、政宗がこちらを振り返った。しまった、と思ったときには既に目が合っていた。この場をどう乗り切ろうかと瞬時にいろいろ思い巡らせたが、佐助の焦りとは裏腹に、政宗は軽く左目を眇めただけで、そのまま何事もなかったかのような平静な顔で、ついと顔を背けた。

(見てたよね、伊達の旦那…)

佐助は色の染みた里芋をひとつ菜箸の先に刺し、口のなかに放り込んだ。納得のいく味付けに仕上がったことを確認すると、コンロの火を止めて、鍋に蓋をした。

玄関のほうでドアを開ける音がし、ただいま、という声が聞こえた。幸村の声がいつもよりも弾んでいることに、佐助は思わず鼻先でくすりと笑い、口の中で小さく呟いた。

「まったく…世話が焼けるよね、あのヒトたちは」



12/03/10 up

幸村と政宗は、スマホではなくガラケーを使っているという設定でお読み下されば。